ケイエムアドシステム(東京・東池袋、資本金1850万円、従業員155名、以下KMAS)という会社がある。路線バスの車内放送や交通機関の広告等で国内最大手とされる。同社のホームページを見ると、「バス放送広告では45年以上業界トップシェア」とある。
KMASが注目されるのは、2001年に経営破綻した第二地銀・石川銀行の不正融資事件の主役である借り手の三島知和と貸し手の藤田道彦の両名が会長と社長に就いていたからである。本誌で「復活していた石川銀行事件の“主役”」(2015年10月号)と報じ、特別背任で有罪判決を受けたにもかかわらず、創業者でもない二人が業界トップ企業に君臨した経緯を追った。
その後の継続取材でも、社業とは関係なく高級外車を乗り回したり、政治家相手に会食したり、という派手な生活ぶりの経営者家族らの姿を確認していた。不透明な安定大株主の存在があり、我が世の春はいつまでも続くように思われた。ところが昨年2月下旬に藤田が社長を辞任していたのである。三島と藤田の間に何が起きたのか。それを記す前にこれまでの経緯を振り返っておく。
03年3月、石川県警は回収見込みがないまま57億円を融資したとして、特別背任(旧商法)の疑いで石川銀行幹部ら計7人を逮捕した。そのうち3人は起訴猶予となり、貸し手では元頭取の高木茂、元専務の川口睦、元取締役東京支店長の藤田道彦が、そして借り手の広告会社ナショナルエンタープライズ会長の三島知和が金沢地裁に起訴された。
57億円の融資は、三島が千葉県木更津市で進めていたゴルフ場「カントリークラブ ザ・ファースト(CCザ・ファースト)」の開発に当てられた。バブルが崩壊した年である1991年に開発許可を得たが、すぐ資金繰りに行き詰まる。97年にオープンさせたものの経営危機に陥った。
99年暮れ、石川銀行に実施された日銀考査で三島の企業グループが「破綻懸念先」に認定されると、三島は2000年9月にダミー会社へのゴルフ場売却を画策、石川銀行はそれに応える形でダミー会社へ57億円の新規融資を実施した。返済は1000万円だけでほぼ全額が焦げ付き、これが不正融資の決定的証拠となった。
05年3月に下った判決(懲役2年6カ月、執行猶予5年)に当時44歳の藤田は控訴せず、損害賠償を求めた整理回収機構とも06年7月に1500万円で和解した。
借り手の三島は無罪を主張し最高裁まで争ったが、08年5月、71歳の三島に懲役3年、執行猶予5年が確定した。三島自身は10年2月に破産手続きが開始、11年2月に免責許可が出され同年3月に手続きが終結した。
ちなみに前首相の安倍晋三がCCザ・ファーストの会員権を当初から所有しており、06年に「アクアラインゴルフクラブ」へ名称変更した後の15年の資産公開でも所有していることが確認できた。
三島と藤田は執行猶予が明ける頃から活動を始める。藤田は09年の春から顧問の形でKMAS社内をうろついていて、三島はそれ以前から、取締役でもない無役の会長として社内に君臨、「茅場町の関連会社から引っ越してきた」と社内では発表されていた。
藤田は10年6月に代表取締役副社長、12年3月に社長となる。信じられないのは、藤田の妻・真由美が13年4月から監査役に、三島の妻・祝代が14年7月から取締役に就任していたことである。
まさに創業一族の家族経営といった風情だが、家族ではない社員へパワハラやセクハラを繰り返す藤田は、社員から毛嫌いされていた。当時の取材にKMASは「弊社内のパワーハラスメント・セクシャルハラスメント横行のご指摘に、ありがたいご忠告があったものとして受け止め、事実関係の存否等、弊社内部において調査を行い、今後の会社経営・社内環境の整備に役立たせていただきたく存じます」と回答、疑惑については否定しなかった。藤田は部下へのパワハラもさることながら、「俺がいなけりゃ三島会長は今頃ブルーシート生活だったよ」と口癖のように話していたという。
三島は、正式には「総務部付の一般社員扱い」だが、東池袋にある本社ビル7階の「会長室」にいる。三島や藤田の送り迎えや足となる運転手付きの黒のベンツSクラス2台も用意されていた。
営業現場の社員らは手取り20万円ほどでこき使われ、三島夫妻や藤田夫妻は月数百万円の給料をもらい、交際費や接待費を好き放題に使ったり、競走馬を多数所有したり、社員寮と称して豪華な別荘を建てたりしていた。
(中略)
KMASの大株主が猫の目の如くクルクルと短期間に変わる理由は、それらを采配する真の大株主が存在することの裏返しにほかならない。真の支配者がそうする理由は、石川銀行から整理回収機構へ移った債権回収やその他の債務追及から逃れるためである。そして計画通り自己破産して免責許可を受け、債権回収から逃れることができたわけだ。
こうした絵を描き知恵をつけた者こそ「俺がいなけりゃ……」が口癖で、石川銀行時代に最年少記録で取締役に就いた藤田ではないのか。その藤田が社長を辞めたのだ。
(後略)