記事(一部抜粋):2020年5月号掲載

連 載

【平成改め令和考現学】小後遊二

修辞学的無為無策

 最近、政治家や役人の言葉が似かよってきたと感じる。以前はあまり聞かなかった言葉使いなので最初は「あれっ?」と思ったが、次第に慣れてしまった。
 アベクロバズーカで有名になった黒田日銀総裁の言葉はだいたい「切れ目なく」か「躊躇なく」だ。就任して8年にもなるのに効果のない無駄使いを切れ目なく繰り返すのだから躊躇もしていられないのだろう。なぜ効果がないのか、なぜリフレ政策が今の経済には合わないのか、説明してもらいたいところだが、振り返って反省することもないのだろう。
 3.11以降、政治家が被災地に行くと必ず出てくる言葉が「寄り添う」だ。言われて悪い気のしない便利な言葉だが、来る人来る人に寄り添われると、べったり感で重たくなるし、3回以上聞いたら「嘘つけ」「調子のいいこと言うんじゃないよ」と次第に怒りを覚えるようになる。コロナの感染者に寄り添うのは、数人まではいいとして1000人を超えてくると「一緒に感染しな」と言いたくなるくらい軽い言葉に聞こえる。医療関係者に「患者に寄り添って」と言うことはできるが、「じゃあ、おまえが寄り添えよ」と突き放されたら二度と使わなくなるだろう。
 政治家や役人だけでなく最近は経営者までもが口にするのが「できることは何でもやる」だ。むかしは「法律の範囲でやれることは限られているので……」と下を向きながらボソボソと言ったものだが、今は上を向いて(やる気のない、また考えてもいない)裏付けのない決意表明をするときにこの言葉を使う。「○○に今日から全力で取り組む」と具体的に言えば自分で逃げ道を塞いだ決意表明になるが、「できないことはやらない」のだから、どんな言い訳もできる便利でズル賢い表現だ。
 森まさこ法務大臣が国会で「東日本大震災の時に検察官が逃げた」と発言し、安倍首相に「厳重注意」を受けた。森大臣は国会で陳謝したが、辞任は否定。なぜなら今後は「緊張感を持って」職務に取り組むからだそうだ。これまでは緊張感を持っていなかったのか? と突っ込みたくなるが、これは叱責を受けた議員が多用する比較的新しい表現だ。
 アメリカでは新型コロナウイルス対策をめぐってトランプ大統領とクオモ・ニューヨーク州知事がバトルを展開しているが、毎朝記者会見を開いて現状を報告するクオモ知事の表現がわかりやすいと民衆を引きつけている。トランプがいろいろと指図をしてきても、「それは州に対する宣戦布告だ!」「その指示は受けない」「決定権は私にある」と一歩も引かず、「(結果に対する)全責任は私が負う」と平然と言い放つ。これが小気味いいということで、クオモを民主党の大統領候補に、という運動も始まっている。
 日本でも安倍首相が世帯あたり30万円という予算の原案を突如一人あたり10万円に軌道修正したときに「私に責任があります」と明言した。しかし、その責任をどう取るのか、辞任するのか、減俸で済ませるのか、何も言わない。記者クラブの誰も「具体的にどう責任を取るのか?」とは聞かない。これほど迷走した政策の責任があると自覚しているなら、万人が「なるほど」と思う具体的な責任の取り方を明示する必要がある。議員報酬10%数カ月カットではコロナで追い込まれている自営業者などのダメージとはバランスがとれない。与党議員は1年間全報酬カットとか自己資産から2000万円対策費に献上、などのざっくりした分かりやすい責任の取り方があるはずだ。クオモは自分のやり方が間違っていたら辞任する気だろう。「ごめんなちゃい」くらいにしか聞こえない安倍首相の責任とクオモの責任は、同じ言葉だが内容がだいぶ違うことが分かる。
 安倍最長内閣は「切れ目なく」続いているが、「できることは全部」やってないし、やることは「躊躇」だらけでチマチマして「緊張感」はない。もう「寄り添う」国民もいないのだから、そろそろマイナス成長という結果に「責任」を持って修辞学的無為無策に終止符を打ったらどうだろう。

 

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