(前略)
イデオロギーよりも安全保障や経済を重視したブロック化に安倍晋三首相が提案した「インド太平洋構想」がある。
日本とアメリカ、オーストラリア、インドの四つの海洋国家が、インド洋と太平洋におけるシーラインをまもろうというのだが、中国の東シナ海、南シナ海への進出を抑止する狙いもある。
尖閣の防衛や中東シーレーンの安全確保、さらに、「自由と繁栄の弧」という国家戦略の起点として、インド洋と太平洋は、日本にとっても、きわめて重要である。
トランプ大統領も、2017年の東アジア訪問で、中国の一方的な海洋進出や「一帯一路」を念頭に、安倍首相の提唱する「自由で開かれたインド太平洋」が新たなアジア太平洋戦略となったという認識をしめし、アメリカのペンス副大統領も、中国の途上国にたいする「債務漬け外交」をきびしく批判した。
いずれも、中国の巨大経済圏構想「一帯一路」構想と、国際金融機関「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」にたいする警戒感からだった。
AIIBがうごきだす以前、世銀や日米が主導権をもつアジア開発銀行がアジア諸国へ融資をおこなっていた。
そのポリシーに立てられたのが、人道・道義的考慮のほか、相互依存、環境の保全、自助努力の四つの理念(「ODA大綱」)だった。
安倍首相も、習主席から「一帯一路」とAIIBへの協力をもとめられた際、条件として、この四つの理念を挙げている。
戦後賠償からはじまった日本のODAは、1960〜70年代に拡大、80〜90年代には、供与額世界1位となった。
日本政府は、ODAを国際貢献の柱の一つとして、タイド・ローンのほとんどをアンタイド・ローンにきりかえて、アジア経済に貢献してきた。
アジアの日本にたいする信頼の根拠は、そこにあって、中国の侵略的援助とはまったく異質である。
相互発展をめざす日本経済は、マレーシアのマハティール首相が「ルック・イースト」といったように、アジア経済のモデルで、近くに日本がいたら、われわれも中国や韓国のように経済成長できたはずとのべる指導者がいたほどである。
事実、中国の所得倍増計画(2012年/胡錦濤)は、池田勇人首相の所得倍増論の焼き直しで、高度経済成長もバブル処理(失敗例)も日本から学んだものだった。
(中略)
インド太平洋構想で、日本のパートナーであるインドがRCEP(東アジア地域包括的経済連携)への参加を見送って、RCEPは、アセアン10か国に日本と中国、韓国にオーストラリア、ニュージーランドをくわえた15か国ですすめられることになった。
日本は、インドと二国間FTAをむすぶことになるだろうが、それが望ましい。
日本経済の光明は、インドおよびアセアンとの運命共同体的なタイアップにあるからである。
巨額の対中貿易赤字をかかえるインドは、安価な中国製品が国内に流入してくると、自国の産業が打撃をうけるとして、関税の引き下げや撤廃に難色をしめしていた。
インドの離脱がうなずけるのは、デフレほどこわいものはないからである。
産業革命後の18世紀末、イギリスの安価な機械織り綿布がインドに流入して、インドの綿布製造業が壊滅的になって、数千万人もの織布工が餓死、インド総督は「織布工の骨がインドの平原を白く染めている」とのべたという。
対アジア経済援助の実績がある共存共栄の日本となら、インドは、安心して組める。
それには、日本は、新自由主義というエゴイズムの経済観を捨てて、本来の日本資本主義にたち返らなければならない。
(後略)