(前略)
河川管理は「国家百年の計」で、日本全体で取り組むべきだが、これはもちろん、民間ではなく政府の責務だ。
ただ、河川管理などの公共事業では社会ベネフィット(便益)がコストを上回っているという採択基準がある。
そこで、ベネフィットもコストも将来見通しを現在価値化するために割引率を使うが、現時点では4%とすることが多い。しかし、本来は期間に応じた市場金利を使うべきだ。今の市場金利は15年くらいまでマイナスだ。それをそのまま使うと、ほとんどの事業が採択基準をクリアし、費用対効果でのは問題はなくなる。マイナス金利という歴史上稀な好環境を後世のために生かすべきなのだ。
マイナス金利は基礎研究資金を増やすためにも有効だ。
今年のノーベル化学賞が吉野彰氏に決まった。日本人のノーベル賞受賞は2年連続だが、今後の基礎研究分野については人材や費用の面で不安の声が聞かれる。
基礎研究への人とカネの投入に関しては、財源に限りがあるという理由で「選択と集中」が叫ばれている。しかし、研究資金の「選択と集中」を官僚が本当に差配できるかといえば、はっきり言って不可能だ。官僚に限らず、誰もそんなことはできない。
そもそも、どのような方向で研究すべきかというようなことは誰もわからない。それがわかれば苦労はしない。だから基礎研究は、結果として官僚の嫌う「無駄」が多い。いわば「千に三つ」しか当たらないので、極端な言い方をすれば、「無駄」な研究ばかりなのだ。
しかし、「三つ」の社会的な便益は極めて大きい。「997の無駄」のデメリットを補って余りあるので、基礎研究は、打率が極めて低い投資ではあっても社会的にはやらなければいけないものだ。「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす」というベンジャミン・フランクリンの名言もある。
この感覚は、自然科学を勉強したり研究した人なら共感できるだろう。しかし、多くの文系官僚には理解できないようだ。
基礎研究の「選択と集中」が言われるのは、研究資金が足りないからだ。であれば、基礎研究の財源として、税金だけではなく、国債の発行も考えるべきだろう。
基礎研究のように、懐妊期間が長く、大規模で広範囲におこなう必要のある投資は、公的部門が主導すべきで、その場合、将来に見返りがあることを考えると、財源として国債は適切だ。
この考え方はもともと財務省内にもあった。小村武・元大蔵事務次官が書いた『予算と財政法』(新日本法規出版)の99ページに興味深い記述がある。この本は、財政法の逐条解説で、財務省主計局の法規バイブルである。事実上の財務省の公式見解といってもいい。そこには、投資の対象が、通常のインフラストラクチャーのような有形固定資産であれば国債で賄うのは当然のこととし、研究開発費を例として、基礎研究や教育のような無形固定資産の場合も、建設国債の対象経費としうると書かれているのだ。基礎研究を将来への投資と理解すれば、当然の結論である。
繰り返すが、長期国債がマイナス金利の今が絶好のチャンスだ。この状況は、国債が市場で品不足だから起こる現象ともいえる。いうなれば、国債大量発行が社会的に求められているという市場からのシグナルでもある。「国債は将来世代へのツケだから抑制する」というのは間違いで、「将来世代のためにも多く発行する」が正しい。
(後略)