かつて学術交流で韓国を訪問した際に、世話になった通訳と夕食を共にした時に、酒が入ってから、彼に「私の10代前の先祖は豊臣秀吉の軍隊に強姦された」と言われて面食らった。しかも、酒の勢いもあってか、その事を何回も言うので、私が苛立って、「で、それを言うことで、何を求めているのか?」と尋ねたら、「日本人にも同じ苦しみを味わわせたい」と言われて再度、面食らってしまった。
今から400年以上も前に日本民族の兵士が朝鮮人の女性を強姦したその悪事と同じ被害を今日の日本人女性に韓国人男性が与えないと自分は気が済まない……と言われた訳である。私はそこで席を立ちホテルに戻った。
また、ソウルのYMCAの招きで講演に行った際に、彼国の閣僚も含まれた200人に対して講演する前に、控室で10人程の役員と懇談していたが、そこに役員の一人が遅れて入って来た。その者が順番に役員一人一人に挨拶して回って、私の前に来たので、私も挨拶すべく彼の方を向いた。ところが彼は、急に顔から笑みを消してプイと横を向き私の前を素通りした。そして次の人からまた丁寧に挨拶をして一周して彼は席に着いた。
私には、まるで小学校の教室内で「苛め」で無視されたような不快感だけが残った。
翌日、延世大学法学部で学生100人程に講演した際に、私は、大要、次のような話をした。
「私たちが、今、世界共通言語のように用いている法律学は『個人主義』を前提にしている。つまり、私は、私がした事の責任は負うが、私がしてはいない事の責任は負わない。だから、400年前に朝鮮出兵した日本軍が朝鮮人に行った事の責任を、1949年生まれの私が負う謂れはない。同じく、1910年〜45年の間に大日本帝国が朝鮮を併合していた責任を私は負うつもりはない。その上で、お互いに利益になる事で礼節を持って助け合うことは良いが、常に『歴史』を持ち出されて一方的に要求され続ける関係は正しくないと思う」
その後、多少の質疑応答を経て、最後は、拍手と握手で私は教室を後にすることができた。
かつて、帝国主義の時代には、ヨーロッパ列強が「文明」(キリスト教のこと)の名の下に軍事力で世界中で植民地を獲得・支配していた。イギリスとインドや中国の関係、スペインとフィリピンの関係、フランスとヴェトナムの関係、さらに、旧宗主国と中南米とアフリカ諸国の関係である。ところがそれらのいずれも、現在、日韓関係のように拗れてはいない。
日本大使館の前にいわゆる慰安婦像を設置するという国際法違反の非礼、日本の排他的経済水域を哨戒していた自衛隊機に韓国軍艦がミサイルの照準を合わせた違法を認めない非礼、国家間の正式合意で設立し日本が出資した財団を一方的に解散しその出資金を返還しない不法、安全保障上の重要物質の輸出の際の条件である事後報告の要求を無視し続け、それに対して日本が手続を厳格化(通常化)したら「日本が話し合いに応じない」と批判した非礼等、理解に苦しむ事ばかりである。
そして何よりも、日韓併合に由来する韓国人の日本側に対する個人の請求権は韓国政府がまとめて対応するという条件で当時の国家予算の3倍もの大金を日本から入手して国家発展の礎としておきながら、その国際条約を平然と無視する感覚が不思議でならない。