金融庁が6月に「老後資金が年金だけでは足りず、最大2000万円の不足額が発生する」という報告書を発表し、政府、なかんずくその諮問を要請した麻生太郎金融担当相への批判が高まっている。「ちゃんと読んでいない」と言いながら、「あたかも赤字で表現したのは(担当者が)不適切だった」と部下に責任を転嫁し、「正式な報告書としては受け取らない」と発言。さらに自分が年金を受け取っているかどうか「知らない」と発言し、年間の飲み代だけで“2000万円”を超えると言われるリッチマンぶりを遺憾なく発揮した。森山裕国対委員長に至っては「この報告書はもうないわけですから。なくなっているわけですから。予算委員会にはなじまないと思います」と予算委員会での集中審議を拒否する始末。
年金問題はどこの国でも政治的に着火しやすいダイナマイトだ。フランスでは退職年齢を引き延ばす議論を始めただけで抗議運動の火の手が全国一斉に上がり、ロシアでも年金支給年齢を引き上げる方針を出しただけでプーチンの辣腕にひびが入った。一方、日本は今国会でも退職年齢を引き上げる議論を展開していたが、あまり盛り上がらない。働ける限りは働こうと思っている人が大半なのと、現在の人手不足で企業側にも異論がないからだ。
あわよくば衆参同時選挙で野党の不意を突こうとしていた安倍自民党は、外交戦略でも芳しい成果をあげられず、年金問題が突如として国民の大きな関心事に浮上したため、7月は参院選のみという低速走行に切り替えた。一連のやりとりを見ていると麻生氏のトンチンカンぶりが目立つが、それは目新しいことではない。問題は年金に関する議論の場と時間軸を整理し、議論を発展させようとする工夫が役人からも政治家からも出てこないことだ。
金融庁が言いたかった「65歳からの家計のマイナスが毎月5万円で、それが30年続けば2000万円不足する」というのは95歳まで生きる人のことで、おそらく全体の4分の1くらいだろう。しかも、その中には65歳までにすでに十分な蓄えのある人、つまり1800兆円の個人金融資産を平均以上持っている人が半分以上いるはずだ。そうであれば「2000万円不足」は全体の8分の1以下かもしれない。そういう分解ができていれば、国民全体を巻き込まずに12.5%の人を安心させる話し方や方法はいくらでもあったはずだ。
一例は同世代の富裕層に寄付をさせることだ。65歳の時点で(死んだときの相続税以上に)1億円以上の寄付を申し出た人にはその後の所得には課税しない、などが有効な方法だろう。あるいは、国民年金(月6万円程度)しかもらえない人に15万円くらいの生活費を保証することによって厚生年金を合わせてもらっている人程度の生活レベルを維持してもらう。これは医療費などの節約で十分可能なレベルだ。
金融庁の報告では2000万円の資産運用を奨励しているようなフシがあるが、2000万円の金利運用で月5万円稼ぐには金利を4%にしなくてはならない。アベクロバズーカでゼロ金利にし、ゾンビ企業の延命を優先して金利で稼ぐ平均的な国民を捨てたのだから、現政権の基本ポリシーでは資産運用など土台無理な話である。
そうであれば、安倍政権のリフレ政策を抜本的に破棄させなくてはならない。それこそが国会の議論にふさわしいテーマだ。報告書を破棄するのではなく、どうやって百年安心の生活設計を築き上げていくのか、ゼロ金利は果たして国民のためになっているのか、などいまからでも遅くないので安倍政権の根幹にかかわる議論を是非進めてもらいたい。
日本人は死ぬときに一番カネを持っている、と言われるほど貯蓄に励み、人生を謳歌するための出費を最後まで慎む世界でも希な国民だ。世界一の個人金融資産がありながら、それが富を生まない。
2%経済成長という目標のために国民生活を犠牲にしたアベノミクスを断罪するときだ。