記事(一部抜粋):2019年6月号掲載

連 載

【中華からの風にのって】堂園徹

犬と日本人は入るべからず

 中国人は「日本人は歴史を知らないから、もっと勉強すべきだ」と言う。この場合の歴史とは日本が中国を侵略した近代史のことで、歴史全体からすればごく一部でしかない。しかし実のところ、中国人は自国の長い歴史のち、その一部でしかない中国近代史を一番勉強したがらない。それは数千年に渡って世界に君臨した文明大国が近代になると突然、外国から凌辱される惨めな国になり、勉強すればするほど自分たち民族の不甲斐なさを知ることになるからだ。
 そのため多くの中国人は、近代史を語る時に感情を優先させる傾向がある。これはテレビで時事問題を解説している知識人であっても同じだ。彼らは、日本人は歴史の真実を謙虚に学ぶべきだと批判しながら、自分たちが歴史的事実の詳細を理解しようとしない矛盾に気づいていないのである。
 中国人は心の底では、自分たちは世界中のどの民族よりも優秀だと思っている。そのため、外国人から蔑視された時代に理不尽な外国人に果敢に立ち向かった中国人を題材にした映画やテレビドラマを歓迎する。ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』という映画には、上海の租界にある黄埔公園の入り口に「犬と中国人は入るべからず」と書かれた看板を、主人公が蹴って割るシーンがある。多くの中国人は映画の内容が虚構だと知っているが、「犬と中国人は入るべからず」という看板があったのは事実だと信じている。信じているからこそ映画にこうしたシーンが取り入れられたのである。
 このフレーズは現在も有名で、これをもじって「犬と日本人はこの車に近寄るべからず」と書いたステッカーを付けている自動車を筆者は何度も見たことがある。
 雲南省の麗江は、高倉健が主演した日中合作映画『単騎、千里を走る』で映し出された独特の町並みで日本でも有名になったところで、世界遺産にも登録され、世界中から観光客が訪れる。数年前、その麗江の中心街を歩いている時、あるレストランで「犬と日本人は入るべからず」という看板を見て、やり切れない気持ちになったことがある。
 犬と中国人が入ってはいけないのは公園だったが、そもそも中国には邸宅などに庭園はあっても、公共施設としての公園はなかった。公園は西洋独自のもので、中国に来た西洋人は租界地に自分たちが憩える場としての公園をつくり、公園での過ごし方を知っている西洋人だけに開放していた。公園に接したことのない中国人に荒らされるのを心配したのだろう。
 西洋人は公園を大切に使うために注意事項も定めた。その一つに、犬に糞をされては困ることから、犬を入れてはいけないというルールがあった。これを総合して見ると、確かに中国人と犬は公園に入れないことになる。ただ、犬と中国人を同列に扱って入園を禁止する看板が出現したことはなかった。
 しかし中国人は、自国のなかに自分たちが入れない場所があることを不甲斐無く感じ、犬と同様に扱われたのだと思って怒りを増幅させた。そしてこのような看板があったのは歴史的事実だと思い込んでしまった。
 こうして「犬と中国人……」は中国の恥とされる租界の実態を象徴するフレーズとなったわけだが、その租界についても中国人は「列強が武力によって中国人から土地と行政権を取り上げた」と誤解している。
 中国に正式に外国人が居住するようになったのは阿片戦争後に結ばれた南京条約で広州、福州、厦門、寧波、上海が開港されてからだ。広州は昔から栄えた土地で、イギリス人が居住するに当たって地元の中国人と摩擦が起きた。当時、一般の中国人はイギリス軍艦の威力や西洋文明の高さを理解しておらず、戦争で負けたのは皇帝の側近に佞臣がいたからだと思っていた。中華思想から周辺の少数民族を蛮族と位置づけ、イギリス人も蛮族の一つと認識していた。だからイギリス人に不動産は貸さないし、貸せば人々から「中国人の恥」と誹られた。
 中国に来るイギリス人も、本国で食い詰めて海外を流浪する荒くれ者が多かったので、排外的な中国人との間で頻繁に暴力沙汰を起こした。しかし中国の役人は、イギリス人に治外法権があり、その後ろに強大な軍事力があるので、厳しく処分できなかった。一方で中国人の愛国感情も無視するわけにはいかない。そうしたなか、イギリス人は人口の多い広州から、当時は全くの田舎だった上海に目を向けた。
 中国では人が集まる地域の周りに城壁をつくることで都市が形成される。当時の上海にも上海城があったが、イギリス人は上海城の外側にある人の少ない土地を貸し出すよう地元政府に要請した。広州での経験から、中国人と同じ区域に住むのは難しいと分かっていたからだ。農耕民族の中国人にとっては肥えた土地が良い土地だが、イギリス人にとっては海上輸送に適した黄埔江沿いの土地のほうが都合がよかった。上海政府も、人が少なくて値段の安い土地にイギリス人が固まって居住してくれることを喜んだ。こうして外国人専用の居住区である租界ができたのである。
 租界は「租借した地」の意で、イギリス人が中国から借りている土地であり、主権は中国にあった。しかしイギリス人には治外法権があり、イギリス人と中国人との争いが起きると、国際条約など全く理解していなかった地元の役人はどう処理すればいいのか分からなかった。そこで、こうした揉めごとをイギリス領事に依頼するようになったことから、次第にイギリス人が固まって住む租界の裁判権や行政権、警察権などについては租界内で自治権が確立されるようになり、中国政府も干渉できなくなったのである。
 近代史をきちんと理解しようとせず、間違った認識のまま、憎悪の感情だけを日本人に向けるのは、中国人にとっても不幸なことである。

 

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