5月3日の憲法記念日に、改憲派(美しい日本の憲法をつくる国民の会等3団体)の中央集会をインターネット中継で見てコメントを述べるという、あるテレビ局の取材を受けた。
桜井よしこ、下村博文、松沢成文、長島昭久、田久保忠衛と、なつかしい顔と名前が並んでいた。
話の内容は相変わらずで、基本的には、「押し付け憲法論」と「国防強化の必要性」と「『憲法』の定義の変更」を今風に語っているだけであった。
「押し付け憲法論」を語った桜井さんはさすがで、まるで役者の様に情を込め抑揚を付け、聴衆の反応を見ながら語った。曰く、「大東亜戦争(敗戦)直後の先人達(つまり当時の権力者達)は、国柄(天皇制)を根底から潰されかねない現実の危機を前に、天皇制を守るために米国製憲法を受け入れた。どれほど悔しかったか? 改憲なくしてわが国の再生はない。新しく立派な大和の道をさらに強めなくてはならない」。
しかし、そこでは、国民大衆の側には政治に対する拒否権がなかった明治憲法下で、ナチス・ドイツと組んであの愚かな大戦に突入して負けた国の責任と、その結果、時の「権力者」にとっては「押し付けられた」憲法であっても、新たに主権者となった国民大衆がそれを歓迎して「我が憲法」にした……という歴史的事実が無視されている。
ウクライナからの留学生が、軍事的抑止力と国民の国防の意思を無くした母国がロシアに侵略された……という話には(政府の反ロ姿勢を除けば)一面の説得力があった。しかし、そういう国際政治の本質論を前提に9条改憲と国防強化を主張する政権が、現実に、日本の防衛を強化するというよりも、米軍の二軍の如くに海外に戦争に行き易い政策を追求している点には合点がいかない。つまり、安倍首相は「日本を(米国の呪縛から)取り戻す」と言いながら、実際には「日本を(日本の費用負担で米国に)引き渡す」政策を遂行している様にしか見えない。
「『憲法』の定義の変更」については若い女性が登壇した。そして、私達が常識として共有している「憲法は国家権力を縛る法」だという定義について、彼女は、「その定義は(中世の)国王の絶対権力を縛るための定義である(つまり現代に通用する定義ではない)」と言い切った。これは改憲派がよく使う嘘である。中世の絶対君主は「神」の子孫を自称し一切の法的規制を受けなかったから「絶対」で、だから当時はそもそも「憲法」はなかった。それが、米国独立戦争で初めて民主国家が成立し、本来的に不完全な「人間」が国家権力を担うことになったので、以来、権力の濫用を防ぐために「憲法」という新しい法領域が発明されたのである。
さらに彼女は、憲法は、国家に立法権を授ける規定のように「国家の権力に根拠を与える」ものでもあると言った。これも改憲派がよく使う嘘である。しかし、国会に立法権を授けた条文は「国会は立法権を超えるな」という制限規範として読むべきものである。「憲法が国家に権力を与える」という主張は必ず「だから国家権力担当者は法から自由だ」という発想に繋がって行く。しかし、そこではなぜ国家権力「担当者」が法から自由なのか? の理由が語られていない。権力者が自分を拘束する憲法を煩わしいと感ずるのは自然である。でも、だからこそ憲法が必要なのである。