ブータン王国首相顧問でもある旧友ペマ・ギャルポ拓大教授のお誘いで、2月に、1週間ほどブータンを訪問した。
ヒマラヤの麓ののどかな農業国であるが、経済的には、団塊の世代に属する私が経験した昭和30(1955)年頃の日本を思い出した。
表通り以外は舗装されておらず、街灯もほとんどない。1週間の滞在中、専用車で移動したが、交通信号はひとつも見なかった。ホテルは彼国では一流とされていたが、7泊のうち、歯磨セットとスリッパがあったのはそれぞれ1軒だけだった。部屋にティッシュ・ボックスがあったことはない。気温が3度の土地で、風呂の湯が2時間でなくなることにはしばしば驚かされた。二部屋続きのセミ・スウィートで電気ヒーターが2台では夜が辛かった。
しかし、それでも、「幸せの国」として有名なブータンは、「足るを知る」人々の国らしく、現地の人々は穏やかな表情で楽しそうに暮らしており、第三者機関(JICA等)の調査でも彼国人の生活満足度は高い。
ブータンは、国策として、GDP(Gross Domestic Product:国内総生産:国の経済力)よりもGNH(Gross National Happiness:国民総幸福)を目指している。
それは、ある意味では「発想の転換」であるが、単に「お金以外に価値観を認めよ」という精神訓話ではない。
政府の説明によれば、まず、着実な経済発展に支えられた生活水準、健康、教育は必要だが、その上で重要な点があるとする。
1.自然環境の保護、2.伝統文化の維持、3.良き統治(「節度のある」政治……のような意味)、4.心の平和、5.仕事と私生活の時間配分のバランス、6.文化的多様性の維持、7.地域社会(コミュニティ)の活力の維持などである。
確かに、彼国は自然環境を破壊しないことに注力しているが、それは、経済開発を阻害するが、人々に穏やかな生活環境を提供している。
また、伝統文化を尊重する政策は、多数の少数民族に自信と活力を与え、コミュニティを活性化しているように見える。
さらに、ブータンでは、総選挙の度に政権交代が起きており、日本のようないかにも「権力者面」をした政治家が見当たらなかった。また、人口70万人の国家で、3500人の孤児の全てを国王が里親として養っている事実には感動を禁じ得なかった。まさに国父である。
所用で、王宮(政務用)、首相官邸、国会議事堂などの前に建ち並んだ平屋建ての官庁街(日本で言えば霞が関)を訪ねた時にはまた驚かされた。
外観が伝統建築の形式で統一されているので遠くから見ると美しいが、近づき、中に入ってみると、それぞれの官庁が木造平屋の一軒家で、決して粗末ではないが質素である。しかも、遠くから見たら立派な赤い屋根を近くで見てみたら、材質はトタン板であった。しかし、会議に参加してみたが、その建物で十分で、地産の木材でしっかりと作られており、何よりも、公務員たちが誇りを持って活き活きと仕事を「楽しんでいる」姿が印象的であった。
以上、戦後の経済成長の中で育ち働いて来た日本人として、ブータンの現状は自らを顧みる鏡のようであった。
忘れていたことを思い出すことのできた旅であった。