記事(一部抜粋):2019年1月号掲載

社会・文化

フィリピン逃亡生活はこんなに辛い

カネはかかるわ、たかられるわ

 フィリピンの首都、マニラの中心部にある日本大使館を、小柄な日本人の壮年男性が訪ねたのは2018年12月19日午前9時のことである。男がアポイントをとっていた相手は、警察庁から外務省に出向している在外公館警備対策官。その後、男は日本大使館からフィリピンの入管本部へと身柄を移され、日本へ強制送還するための形式的な事情聴取が始まった……。
 10月半ば以降、積水ハウスを被害者とする巨額の地面師事件で、警視庁捜査2課が犯人グループを次々と逮捕してきたのはご存知の通り。だが、捜査網が狭まっていることにいち早く気づき、着手の直前、マニラに高飛びしたのが「カミンスカス小山」こと小山操容疑者(59)だった。以来2カ月と1週間、彼は国際手配の網を掻い潜りながらフィリピンで潜伏生活を送っていた。捜査関係者が説明する。
「小山が生活していたのは、マニラから60キロほど離れたクラーク国際空港近くのリゾートホテル。日本にいたときに通いつめていたフィリピンクラブのホステスたち、つまり彼の愛人たちが彼の面倒を見ていたようです。しかし、だんだんと日本から持ってきたカネが底をつき、一方、積水事件で逮捕されたうちの何人かが不起訴処分になったこともあって、ひょっとすると自分も無罪を勝ち取れるかもしれないと淡い期待を抱いて出頭したのです」
 つい1年前、何億円も荒稼ぎした主犯格の懐事情が寒かったとは意外な気もする。
「おそらく、小山が日本から持ち出すことができたのは、せいぜい現金で400万〜500万円でしょう。外為法では日本から100万円を超える現金を持ち出す場合、税関への届けが必要ですが、逃亡しようとしていた小山が届けを出すはずがない。また、咎められることを恐れていたため、1000万円以上の現金をカバンにつめることもできなかったようです。もちろん、日本には詐欺で稼いだカネの残りがマンションなどを含めてまだ何億円分か残っていますが、これをフィリピンにいるお尋ね者の小山に送金するのは非常に困難なので、いつかは底をつくと見られていました」(同)
 物価は日本の3分の1といわれるフィリピンだが、逃亡者が暮らしていくには、それ相応のカネががかると話すのは、ベテランの警視庁詰め記者である。
「なによりもセキュリティにカネがかかる。大金を持っていることが周囲にばれてしまうと、逃亡者の場合、警察に駆け込めないだろうと足元を見られて脅されたり、最悪、襲われかねません。そのため個人的なボディガードを何人か雇わなくてはならないことも少なくない。ところが、そのボディガードに支払うカネが安いと、そこから話が漏れる危険性もある。さらにホテルにしろ賃貸マンションにしろ、セキュリティのレベルがしっかりしているところを選ばなければならない。そのため実際には、日本で暮らすよりも割高になるのです」
 とはいえ、日本に比べて警察による監視の目が緩いこの国が、日本人犯罪者のアジアにおける逃亡先に選ばれてきたことも事実である。少なくともこの20年で、殺人などの重大犯罪の容疑者が5人以上、フィリピンに逃亡している。これに業務上横領などの経済犯を加算すれば両手では足りない。
 しかし、逃亡生活が長くなればなるほど、フィリピン人のカモにされるリスクも大きくなる。その典型例が、1992年、2億7000万円の横領事件でフィリピンに逃亡した元大阪産業大学の財務部長だ。
 彼はその6年半後の1999年、フィリピンの出入国管理局の係員に連行され、日本に強制送還された。フィリピンに渡ったときにはスーツケースとスポーツバッグに5000万円の現金をつめて持ち出すことに成功したという。しかし、それは跡形もなく消え、最後は2万ペソ(約4万2000円)の家賃に苦しんで引越しを考えるほどだった。では5000万円はどこに消えたのか。
 当時、彼がフィリピンの拘置所で記者に答えたところによれば、フィリピンの税関にいくらか握らせノーチェックでカネを持ちこむことに成功、逃亡生活の最初はバラ色だったという。
 しかし、その後、彼は大阪のフィリピンクラブで知り合った愛人エマの親族にたかられる。
(後略)

 

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