記事(一部抜粋):2018年12月号掲載

経 済

ゴーン独裁を許した日産の「企業体質」

強欲コストカッターは「4人目の天皇」

(前略)
 いずれにせよ、これほど豪奢な暮らしを長年にわたって満喫することは普通の企業では到底ありえない。結局は、かくも長き期間、ゴーン元会長の独裁を許してきた日産という会社の体質に問題があるわけだ。
「実は、独裁者が生まれるのが日産の伝統的な社風なのです」と語るのは、ベテランの経済部記者。
「かつて日産には、3人の天皇がほぼ同時に権勢を振るっていた時代がありました。3人ともすでに鬼籍に入ってますが、一人目が中興の祖として1957年から83年まで社長や会長を務めた川又克二さん、それから77年から92年まで同じく社長、会長の椅子に座り、経済同友会の代表幹事だった石原俊さん、そして3人目が、川又さんと蜜月関係となり、日産社内を好き勝手に牛耳った自動車労連の塩路一郎会長です」
 この3人の天皇の交錯と確執が、やがてゴーンというコストカッターを日産に呼び寄せる業績悪化の種を蒔いたのだ。
 経済部記者が続ける。
「日産が急成長をとげた川又社長の時代、労使協調路線のカウンターパートが自動車労連の塩路会長でした。塩路さんは労組の指導者という立場でありながら事実上、日産を支配し、一時は重役の半分が労組の役員経験者だったこともある。その結果、社長、会長は重要な経営判断を塩路氏に仰ぐようになり、部長、課長は塩路氏に人事異動の挨拶を欠かさないという異常な状態になっていたのです」
 労働貴族と呼ばれた塩路氏は、専用のプレジデントやフェアレディZを乗り回し、品川区に7LDの自宅を所有。年収も当時1500万円を超えていた。毎晩、銀座で飲み歩き、お気に入りのクラブホステスを自身が所有する4000万円のヨットに乗せて悠々とクルージングするという生活。日産社内には塩路会長の情報網が隅々まで隈なく張られ、労組や塩路会長の悪口を言っただけで左遷されてしまう例もあった。
 専用ジェットで飛び回り、血も涙もないリストラを断交し、ナンバー2を切ったり、企業のカネを私しているゴーン元会長と重なって見えないか。
 さて塩路会長の権勢は80年代半ばまで続いたが、石原俊氏が日産の社長の座につき、欧州進出を中心とした「グローバル10」という経営方針を掲げたころから翳り始めた。
 経営を労組から取り戻すことを誓った石原氏は、労使関係にヒビが入ることを厭わず、塩路氏に経営判断を仰ぐことをやめて大規模な人事異動をおこない、塩路スパイ網を分断していった。
 結果、激しい労使対立が起こり、塩路氏は石原社長が決めたイギリス工場進出計画に記者会見まで開いて反対。ところが石原氏はテコでも海外進出を諦めなかった。この労使闘争のなかで、塩路天皇はヨットとホステス遊びなどを問題視され、労組を追われることになった。こうして日産の労使対立は次第に収まったが、この内向きな闘争が結果的に日産の業績を激しく悪化させ、2兆円の有利子負債を抱える下地をつくったのである。
(後略)

 

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