記事(一部抜粋):2018年9月号掲載

政 治

「歴史」を持ち出す「保守」派のご都合主義

【コバセツの視点】

 今振り返ると、私は40年間も改憲論議に参加して来た。その間、何回も、改憲保守派が持ち出す「歴史」という単語で議論を中断(拒絶)された経験がある。
 典型的な事例は次の二つである。
 つまり、人権や憲法の意味を説明する際に、憲法学者は一般に、歴史的先例としてのアメリカ独立戦争やフランス革命を紹介しながら語るものである。それに対し、改憲保守派は、第一に、「欧米と日本では歴史が異なる。だから、欧米の歴史を日本に当て嵌めても意味がない」、第二に、「日本には日本独自の歴史があり、その本質である『天皇を戴いた神の国』こそが日本の国体(つまり実質的な憲法、つまり憲法典に明記されるべきもの)である」と語る。
 しかし、それらの主張は、典型的な「論点逸らし」であり、「論争拒否の思考停止」以外の何ものでもない。
 まず、欧米と日本の歴史は異なる……と言うが、それは、時代も歴史的条件も人種も政治状況も異なるのだから当然である。しかし、憲法論議で問われているのは、ジョージ三世(1760〜1820年、イギリス国王)と田中角栄(1972〜74年、日本国首相)が別の時代の別の国の人間だということではなく、「人類」に普遍的な「国家共同生活の目的」と「権力者と国民大衆の間の緊張関係」を前提として、最良の統治制度を発見することである。
 そして、まず、国家の存在理由がその国家を構成する「国民の最大多数の最大幸福の増進」であることは、古今東西、争いがない。次に、権力者も当然に「先天的な堕落性を有する人間」であることから、最大多数の最大幸福を最も確実に目指す制度として、人類は、様々な試行錯誤を経て、代表民主制に辿り着いたのである。
 そのような人類に共通の本質を説明するために、憲法学者は、先例としての米、仏、英等の事例を参照しているまでのことである。その点は、医学、哲学等でも同じである。
 また、日本の歴史の「独自性」を主張する者は、なぜか、明治憲法体制(大日本帝国憲法)こそが日本固有の「国体」であるという結論を振り翳す。しかし、わが国の2000年以上の歴史の中で、大日本帝国は例外的に強権的な天皇制の時代であったことは明白である。むしろ、長い歴史のほとんどの期間、天皇は現在の象徴に近い存在であったではないか。
 加えて、あの大日本帝国憲法の下では、天皇が統治権(つまり国家の全権)を総攬(掌握)しており、天皇の軍隊の統帥権(指揮権)は独立しており、国民には人権(つまり政治の決定を批判し時には拒否する権利)が与えられていなかった。だからこそ、わが国は、あの愚かな戦争を始めることができ、かつ、その止めるべきタイミングも失い、悲惨な敗戦に至ってしまったのではあるまいか。そして、その結果、世界の常識に適った日本国憲法を得ることができて、わが国は自由で豊かで平和な国として再興することができた……という事実も(いや、それこそが)「わが国の歴史の重大な成果(の一部分)」であるはずであろう。そういう意味で、むしろ日本国憲法こそがわが国が「歴史」的に誇るべき「国体」なのではなかろうか。
 歴史は、様々な因果を重ねながら絶えず流れ続けており、それを、なぜか敗戦時点で止めてしまっている保守派の発想の方が不自然である。

 

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