東京遷都まで日本の首都だった平安京。左京区の吉田山麓に位置する京都大学構内外に掲出の「立て看」を巡って、「自由派」と「統制派」が対峙しています。「日本経済新聞」朝刊1面の「春秋」も5月20日付で言及しました。
「『ゲバ字』をご存じだろうか。学園紛争が盛んなころ、ビラや立て看板に踊っていた独特の書体。字形は極端に角張り、闘争を斗争、万歳を万才などと略字で書き、どこの大学に行っても散見された。しかし活動家学生が口にしたゲバルトなる言葉が世間でどんどん縁遠いものになり、ゲバ棒もゲバ字も昨今はとんと目にしない。とはいえタテカンそのものはかろうじて命脈を保ち、サークル活動の勧誘、演劇公演の告知、なかには政治的なやつもあるが大半はカラフルで学園祭のノリだ」。
ところが、第1次安倍内閣で教育再生会議委員を務め、京都市教育長から市長へと転じた門川大作氏は、「屋外広告物条例等に触れると撤去」を大学側に要請。「無菌培養」こそ抵抗力を持ち合わせぬ従順な「日本人」を量産する手立てと妄信する御仁なのかも。
「抵抗する学生らが再設置、当局が撤去といたちごっこが続く。条例に例外なしと市も譲らず、久々に学園紛争めいた展開」と微苦笑する「春秋子」は、「色とりどりの今風タテカンも含めて、京都らしい場所ではないか。学生の表現活動をあまりしゃくし定規に規制しては収拾がつかなくなろう」と温かくも鋭い諫言。
慨歎すべきは、「自重自敬」の揮毫を掲げた執務室で、「チンパンジーとゴリラも同じく五感を持っています。しかし、繋がり合うという感覚は人間唯一のもの。この関係性が人間の新しい感性。もう一度取り戻さないと、人間もモノ化してしまう」とインタヴューに応じた第26代京都大学総長の「言行不一致」です。
YouTube「だから、言わんこっちゃない!」で僕が3回に亘り、「立て看こそ京都の景観」と語った際のツイートを再録すれば、「天晴れ立て看 京大生の諧謔精神 ゴリラ研究の泰斗だった筈の山極壽一京大総長 実は長い物には巻かれて景観を破壊する『シン・ゴリラ』だったとは!」。
小宮山宏、寺島実郎の各氏らと共に僕もインタヴューを受けた、谷口正和氏が編集主幹の『京都ジャーナル 構想の庭』での香ばしい山極語録を続けます。
「物質はコンフリクトを起こす上、調和することもできません。ロボットはコンフリクトを克服していますが、調和まではできません。機械にはできない融和力。人間は建前と本音をうまく使い分けることができる生き物。ただ単純に繋がっているだけではなく、そこにはしたたかな繋がりがあり、それが人間らしさとなる」。
ご高説ご尤も。にも拘らず彼は「したたかな繋がり」を拒絶するかの如くタテカン問題に関して黙して語らず、西洋中世哲学史が専門らしき川添信介副学長に丸投げ状態。而して3年半前に就任した件の人物は「一度も団交に応じておらず」と「京都新聞」は報じます。建学以来の「自由の学風」を改竄し、文科省改め「悶禍省」から進駐する面々に忖度し、「暗黒の中世」を再来させんと目論む「誤用学捨」かも知れません。
学生側はゴジラならぬ「シン・ゴリラ」の上に白抜きで「自由対規制」と大書きした立て看を掲出。その心意気や良し。が、「他者の期待通りに振舞う自分が本当の自分」とも嘯くゴリラの泰斗が「建前と本音をうまく使い分けることができる生き物」として遠隔操縦する規制派は、管理教育と新「自由」主義の「融和力」へと猪突猛進。京大OBの畏友・浅田彰氏は「仰げば尊し、反面教師の恩……」と看破しています。嗚呼。