記事(一部抜粋):2018年6月号掲載

経 済

「大日本印刷」世襲3代60年の異様

創業家でもオーナーでもない北島家

 太平洋戦争の敗戦により我が国が大日本帝国から民主主義国家へとその姿を変えて久しい。かつて、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ……」と大日本帝国憲法に記されていた天皇の地位も、国民の象徴となり、国民に寄り添う存在へと変わった。華族制度も廃止され、すべての国民は法の下に平等となったはずだった。
 しかし、戦後七十有余年を経て、未だ世間に王家のような旧態依然の世襲制が横行しているのはご存知の通りである。
 例えば、新興宗教の教祖、華道や茶道の家元、さらに創業家が株式の過半を保有する未上場の中小企業……。多くの場合、そのトップの座は、父から息子へ、さらに息子から孫へと譲り渡されていく。
 そのこと自体は珍しい話ではなかろう。世の中に与える影響も極めて限定的なものにすぎない。だが、もし東証一部上場の、グループ会社を含め従業員を3万人以上も抱える大企業が、世襲制をとっているとしたらどうだろうか。
 実は、創業家でもオーナーでもないのに、いつのまにか人事権をほしいままにし、60年にわたって大企業を世襲で支配し続ける稀有な一家がある。社名の一部を大日本帝国から拝借している大日本印刷である。
 この5月、大日本印刷は、39年にわたり社長として君臨した北島義俊氏(84)が、6月の株主総会以降に代表権を持つ会長に退き、その長男である北島義斉副社長(53)が社長に就任すると発表した。歴史を振り返れば、今回、退任する義俊社長の先代は彼の父、北島織衛氏(故人)で、やはり20年間も社長を務めていた。つまり大日本印刷は、祖父から孫まで3代続けて、北島家から社長を誕生させてきたわけだ。ちなみに次男の北島元治常務(52)も副社長に昇進するという。
 経済部記者が説明する。
「義俊社長の長男である義斉副社長が次の社長に就任することは、20年くらい前から決まっていたようなものですから、特に驚きはありません。というのも、父と息子の経歴があまりにもそっくりで、それは要するに、父親が息子に帝王教育を施しながらレールを敷いていることが明らかだったからです。例えば、二人とも出身大学は慶応の経済学部で、卒業後、新卒で富士銀行(現みずほ銀行)に入行しています。それで義俊社長は5年、義斉副社長は7年、銀行員の経験を積んでから、大日本印刷に転職。入社時に父が社長をやっていたという境遇もまったく同じ。その後、取締役になるまで義俊社長は4年、義斉副社長は6年。それからも義斉さんは常務、専務、副社長とトントン拍子に出世していくのですから、今回の人事は予想の範囲内なのです」
「しかし……」と、経済部記者が続ける。
「逆に驚いたのは、一線を退いたはずの父、義俊社長が80代半ばにして、代表権付きの会長に就任することのほうです。私の記憶する限り、これだけ図体のでかい一部上場企業で3代続けて世襲制で社長が決まったり、代表権を持つ会長と社長が父親と息子というケースは例がない。しかも、1歳年下の弟まで副社長に昇任するわけです。体裁が悪いとか、世間体をはばかる遠慮の姿勢は、どこにも感じられませんね」
 企業は株主のものという常識を物ともせず、北島家が好き勝手に私物化していると見られても仕方のない状況なのだ。
 当然、メディアの記者たちから疑問の声が上がっているものの、大日本印刷側は、「息子ありきで選んだわけではなく、候補者の中から適任者を選んだ」と反論している。しかし3万人以上いる従業員たちの中で最も経営者としてふさわしい3人が偶然、北島家の父親と長男、次男になる確率がほぼゼロに等しいことは小学生でもわかる理屈だ。こんな子供だましの言い訳で納得する株主が一人でもいたとしたらそれは奇跡といっても過言ではあるまい。
 しかも、前述したように北島家は創業家でもオーナーでもない。この極めて珍しい企業の沿革を簡単に振り返ると、大日本印刷の前身は、勝海舟が「英国より秀でよ」の意味を込めて名付けた「秀英舎」という印刷会社で、設立は1876年。この時の創業メンバー4人に、北島家は名を連ねていなかった。ただ、この秀英舎に16歳で就職したのが、北島義俊社長の祖父である青木弘氏だったという。その後、秀英舎は日清印刷と合併し、大日本印刷と商号変更。
 青木氏はそのまま50年間も勤務し、太平洋戦争の最中に1期だが大日本印刷の社長を務めたのだ。この青木氏の三男が、北島織衛氏である。
(後略)

 

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