5月3日、憲法記念日に安倍首相が改憲派の集会にメッセージを送った。曰く、「わが国の独立と平和を守る自衛隊を憲法にしっかりと明記し、違憲論争に終止符を打たなければならない」。
しかし、これ自体が大きな嘘である。
自国の独立と平和を守る機関は、比較憲法学(つまり世界の憲法)の常識と国際法によれば、「軍隊」である。国の「独立」とは外国に支配されない状態を言う。だから、普通の国家は、他国の軍事力に屈服しないで済むように「軍隊」を保持している。ところが、わが国は、敗戦国として憲法改正を強要された際に、二度とアメリカに刃向かえないように、憲法に、「陸海空軍その他の戦力は保持しない」ことと「国の交戦権は認めない」ことまで書かされた(9条2項)、だから、わが国は、自国の憲法で、国際法上の戦争の手段である「軍隊」と国際法上の戦争遂行の資格である「交戦権」を自らに禁じている。つまり、日本は憲法上、「戦争」のできない国なのである。
それでも、1946年の憲法制定時はわが国は世界最強の米軍に占領されていたので、当時、わが国を侵略する可能性があった唯一の大国ソ連からは守られていた。しかし、1950年に朝鮮戦争で米軍が出兵したために、わが国の守りを「補う」ものとして同年に警察予備隊が創設され、それが保安隊、自衛隊と改組され今日に至っている。
それでも、憲法が「軍隊(戦力)」を明文で禁じているために、それと自衛隊の存在を矛盾させない辻褄合わせが必要であった。つまり、わが国の独立を守ってくれていた米国の「軍隊」を補う自衛隊を「軍隊(戦力)」ではない……と言い繕う理屈が必要であった。
そこで考えられたのが、専守防衛・海外派兵の禁止という条件である。つまり、「戦争」は当然に外国領土の攻略(海外派兵)を伴うが、それは憲法上資格がない。しかし、わが国の中に他国軍が攻め込んで来た場合には、行政権の一環である警察権(つまり、国内で発生している危険を除去する権能)で、合憲に対応できる。
だから、自衛隊は、諸国の軍隊には課されず警察にしか課されない「警察比例の原則」が適用されている。
「警察比例の原則」とは、現実の害悪を除去するために、国は、その害悪に「比例した」「必要最小限の実力」しか行使してはいけない……という原則である。だから、警官が拳銃を発砲した場合には、それが過剰ではなかったか? について必ず検証を受けるのである。
その点で、軍隊は、戦争になったら、勝つために、過剰な大量殺人も、同じく過剰な器物・建造物損壊も許されている。
だからこそ、自民党は、その公式の憲法草案(2012年)で、独立主権国家らしく「国防軍」と「自衛権(つまり自衛戦争の際の交戦権)」を明記する改憲を提案している。
賛否は別にして、この方が、安倍提案よりよほど筋が通っており、正直である。
安倍首相は、常々、9条2項と専守防衛の原則は変えない……と語っている。しかし、それならば、2014年の海外派兵解禁は違憲のままであるし、自衛隊は「第二警察」のままである。
安倍首相には、概念を正しく使用し論理的に矛盾のないまともな議論を期待したい。