『日本書紀』に記されている「十七条憲法」。「承詔必謹(しょうしょうひっきん)」は、その第三条に登場する表現です。
「詔(みことのり)を承けては必ず謹め」。即ち「天皇の詔勅(しょうちょく)が下ったなら、必ず謹んで承らねばならぬ」。
が、大日本帝国憲法に引き継がれた「承詔必謹」は、“承る=拝聴する”の意味合いを何時の間にか捨て去り、「天皇の命を受けたら必ずそれに従え」と“拡大解釈”されるに至ります。これぞ正訳、と胸を張る向きも居られましょう。
呵々。天皇制こそ日本の「国柄」と語る面々は、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀(しょくにほんぎ)に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と平成13年=2001年12月の会見で、更に平成25年=2013年の会見では「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と、日本を主語として述懐した今上天皇の歴史認識を「承詔必謹」していますか?
豈図らんや、今上天皇の警句を歯牙にも掛けず、GHQに起用されたエリザベス・ヴァイニング女史が薫陶の「歴史改竄主義」など肯んず、と嘯く「ニッポン凄いゾ論」妄信者こそ、美濃部達吉翁とは似ても似つかぬ御都合主義「天皇機関説」信奉者。
「終戦の詔勅」を以て天皇の詔勅は途絶え、軌を一にしてダグラス・マッカーサーなる御仁との写真が公開されるに至り、「承詔必謹」を発するのは占領国アメリカと信じて疑わぬ“歪な独立国”の道を、日本は歩み始めます。「日本を、取り戻す。」と声高に唱和し続ける面々とて、否、彼らこそ「日本を、取り漏らす。」自家撞着に陥っています。
90年代初頭の湾岸戦争勃発時、「親米・反米」の二元論を超えて、その対象を、その都度、好きか嫌いかで捉える曖昧な感情が生まれていると僕は述べ、「嫌米」と名付けます。であればこそ、相方を諫める「諌米(かんべい)」という助言・提言の心智(メンタリティ)こそが肝要、と強調するも、複数のインタヴューに訪れた海外メディアも含めて大方は、前者のみを報じたのでした。
仲睦まじき夫婦でも恋人でも時には曰く言い難き違和感を抱くものです。離婚・別離へと即座には至らぬものの……。厄介にも国際関係に於いては、国際連合加盟国家が突如として雲散霧消する訳もなく、相方が歩むべき道を見失っている時には「正心誠意」、道理を説いてこそ真のパートナー。
にも拘らず、環太平洋の国々より遙かに至近な国民国家(ネイションステイト)を痛罵する「嫌中・嫌韓・嫌朝」で糊口を凌ぐ書き手(ものかき)・話し手(タレント)・送り手(メディア)が跳梁跋扈。事大主義とは異なる日本的慎み深さとしての「承詔必謹」の深意を忘れ、「同盟国(アメリカ)」への盲目的「承詔必従」の阿諛追従に血道を上げる“名誉白人”が愛国者として称揚される日出ずる国ニッポン。
斯くもお花畑な島国の夢想を打ち砕いた3月5日実施の南北対話、3月9日発表の米朝会談。対北朝鮮特使団の団長を務め、対米安全保障ライン担当で閣僚級の鄭義溶・国家安全室長が米国・中国・ロシアへの説明を担当。日本へ訪れたのは格下に当たる官僚の徐薫・国家情報院長。「日米首脳の考えは100%一致」。「誤送船団・記者クラブ」が喧伝していた、その相方のドナルド・トランプ大統領からの連絡も、記者発表の場へと移動する途中でした。
「黒田マジック」の出口は一向に見えず、海外では「縁故主義」と報じるモリカケ問題も危機拡大の後出し情報&質疑が炎上中。5年3ヶ月の「ニッポン凄いゾ論」の果てに見えてきたのは、墓穴という世界から“置いてけ掘”な「出口戦略」だったのです(涙)。