天皇陛下が退位される2019年4月30日の翌5月1日、皇太子さまが新天皇に即位されて、新元号となる。
この政令を聞いて、耳を疑ったのは、わたしだけではないだろう。
5月1日は、メーデーで、1890年以降、ヨーロッパやアメリカだけではなく、日本でも、労働者の祭典となっている。
祭典といっても、由来は、マルクス主義者によるゼネスト決起である。
労働者と警官隊が衝突した1886年(シカゴ)には、20人(労働者4人が死刑)の死者がでている。
日本では〈血のメーデー〉と呼ばれる第23回メーデー(1952年5月1日)が連想される。
このとき、警官隊とデモ隊が皇居前広場で衝突、警察官の重傷68人、軽傷672人、デモ隊側の負傷者200人、死者2人という大惨事となった。
安倍首相は、なぜ、栄えある新元号発足の日をメーデーにあてたのか。
新元号初日とメーデーが重なるようなことがあれば、メーデーのデモ行進が「天皇制打倒」「新元号反対」の旗を掲げないともかぎらず、治安上、きわめて問題が大きい。
新元号発足の日を、体制打倒の記念日であるメーデーにぶつけた安倍首相の政治感覚を疑うが、それ以前に、安倍首相が本当に保守主義者なのかどうか首をひねらざるをえない。
保守主義は歴史の連続性をひきうけることで、伝統や習慣、社会の仕組みや考え方の継承のほか、過去および過去に生きた人々の尊重ということが重大な要素としてあげられる。
現在は、過去に生きた人々の産物でもあって、いまを生きている人々だけの所有物ではない。
したがって、歴史的事跡は、いまを生きている人々の都合や利害によって変更することはできず、日時や記念行事のありようをふくめて、過去を踏襲しなければならない。
それが保守主義の真髄で、英語でコンサバティブという保守主義は、まもるべき価値は無条件にまもるという精神の文化防衛なのである。
安倍首相には、まもるべき価値をまもるという保守の精神が欠けている。
保守という背骨が抜けているため、天皇から憲法、防衛、対米関係にいたるまで、政治姿勢に一貫性がなく、肝心なところで逃げを打って、支持者を欺くのである。
(中略)
政権(第一次)を投げ出した安倍氏が再び政権をめざしていた平成24年の夏、村上正邦元参院議員と中曽根平和研の小島弘氏、そしてわたしが、ホテルニューオオタニに安倍氏を招いて懇談会をもった。
そのとき、安倍氏は、熱っぽく改憲論を説き、自主憲法制定論者のわたしはいたく感銘をうけた。
戦後レジームは、憲法の弊害でもあって、GHQ民政局がつくった日本国憲法は、いちどこれを廃棄して、国家主権と国体の独立性を明記した自主憲法に切替えるべきであり、この時、安倍氏の言葉から、その気迫が十分につたわってきた。
そのあと、村上先生が片山さつきら参院議員15人を赤坂の料亭に招いて、安倍激励会をひらき、わたしも末席につらなった。
それがささやかながら、安倍第二次政権の一つのステップボードになったと自負している。
ところが、第二次安倍政権が5年目を迎えようとしていた2017年の春に安倍首相の口から予想もしない憲法改正発言がとびだした。
9条の1項、2項をそのままにして、新たに3項を追加し、その3項で自衛隊の合憲化をはかるというもので、その発想の稚拙さや姑息さ、破綻している論理に保守主義者の多くは失望させられた。
9条で、国家主権の象徴である交戦権や軍事力保持を否定したのは、日本の国家主権を握っていたのが、当時、日本を占領していたアメリカだったからである。
日本を防衛するのは、日本を占領しているアメリカなので、日本という国家に防衛権をあたえる必要はないというのである。
戦勝国に軍事支配されている敗戦国が武装解除され、軍事的に丸裸にされるのは当然のことで、日本国憲法はGHQの対日占領基本法だったのである。
現憲法には、戦争や災害、内乱などの緊急事態に非常措置をとる「国家緊急権」が存在しない。
大日本帝国憲法にあった緊急勅令制定権(8条)や戒厳大権(14条)、非常大権(31条)など国家緊急権がなくなってしまったのは、緊急権を発動する主体たる国家主権がアメリカに握られていたからである。
したがって、サンフランシスコ講和条約(1952年)で日本の主権が回復された時点で、日本は、事実上の占領基本法を破棄して、新憲法を制定すべきであった。
そうでなければ、日本は、国家主権のないお化けのような国のままである。
教師は「国家は憲法によって規制される(99条)」と教えているが、そんな理屈がとおるなら、日本という国家は、憲法をつくったGHQの永遠の奴隷になっていなければならない。
(後略)