政府の問題提起によれば、今上天皇の退位に伴う皇太子への「譲位」の手続は憲法に違反しかねないそうである。
理由は、第一に、「譲位」とは天皇の個人の「意思」による地位の譲り渡しのことで、それは、「天皇は国政に関する権能を有しない」(4条)とする憲法に抵触するとのことである。だから、政府は、天皇の代替わりは、現天皇の「退位」と次期天皇の「即位」に分けなければならないとする。(???)
しかし、まず、憲法が禁ずる「国政に関する権能」とは、例えば、日米安保条約、共謀罪といった特定の政策の賛否に介入する権限を意味するはずである。本来的に「世襲」で政治的に実質的に無権能つまり無色な存在だと憲法で定められている地位を、先例に従って、定められた継承順位に従って家族内で代替わりする決定にはそもそも「政治性」などありようがない。
さらに、「退位」自体が現天皇の「意思」によるものがであることが明白である以上、それを後に次期天皇が「即位」したとしても、その一連の唯一の流れが全体として「譲位」であることに変わりはない。
さらに第二に、天皇の代替わりに不可欠な宗教的儀式(ex.大嘗祭)は、「国は宗教的活動をしてはならない」(20条)「公金は宗教上の組織の利用に供してはならない」(89条)という憲法の政教分離原則に違反する。だから、それは国事行為(憲法7条10号の儀式)とはせずに「公的行為」(?)として公費を支出するという。(???)
しかし、歴史的に確立された「神道」で支えられた王制である天皇制の存続を敗戦後に現憲法が明文で受け容れた以上、天皇制は、憲法が定める政教分離原則と法の下の平等原則(14条)に形式的には矛盾しても、憲法自体が明文で認めた例外として合憲である。これが法学の常識である。
だから、大嘗祭が神道の儀式であることは明らかだが、それが歴史的に天皇制に不可欠なものである以上、憲法7条に規定された「儀式」として行う他ないし、それは上述のように政教分離原則が許容する明文例外である。また、「政教分離原則に反するから「国事行為」にはできないが、「公的行為」(?)として公費を支出できる」という論理は、全く理解し難い。つまり、宗教儀式だから、政教分離原則に照らして、「国事行為」にはできないが、「公的行為」としてなら公費を支出できる……という説明は一見して論理が破綻している。
ところで、「憲法に適合した天皇の代替わりを」と言うならば、何よりもまず、わが国の歴史上初めて「人権」が明記された現行憲法の中心原理である基本的人権の尊重に焦点を当てた議論が行われてしかるべきであろう。つまり、運命により天皇という地位に巡り合った者も、ひとりの人間である以上、それをどこまで受け容れるか否か?の自己決定権は、人権として保障されているはずである。だから、「天皇の自由意思による譲位は許されない」などという発想自体が反憲法的で不当である。
以上要するに、天皇には「譲位」の自由があるはずだし、また、天皇位の継承に歴史的に不可欠だとされてきた「大嘗祭」は当然に国事行為のひとつとしての「儀式」である……と言えるはずである。
筋の通った憲法論議を期待する。