神戸製鋼所の品質データ改ざん、日産自動車やSUBARUの無資格検査など日本が強みとしてきたモノづくりへの信頼を失墜させる不祥事が相次ぎ、国内外からは「日本のモノづくりの信頼が根底から揺らいでいる」「日本の製造業に黄信号が灯った」との声が後を絶たない。
しかし、実はわが国の製造業の衰退はいまに始まったことではない。よく日本の製造業は「技術は一流、経営は三流」と揶揄されるが、その“技術”もすでに“一流”ではなくなっているのだ。電機セクターのパソコンや半導体、液晶テレビなどのデジタル製品が象徴するように、グローバル競争に晒されてきた日本の製造業の相対的な国際競争力は10年以上も前から低下の一途を辿っている。今回の一連の組織ぐるみの不正も10年以上も前から常態化していた。
衰退の背景には、「現場力」と「経営力」の劣化がある。世代交代に伴う技術継承の断絶や非正規雇用の増加、国内の空洞化とともに「専門性の高い製造現場は従来から他のセクションとの交流が少なく、ブラックボックス化している」(大手メーカー幹部)。
一方、経営者はここ20年余り、コスト削減など内向きの経営を強いられ、リーマン・ショック後は新興国の台頭に翻弄されてグローバル化や目先の利益ばかりを追求したことで現場とのコミュニケーションが途絶え、品質に対する緩みが生じてしまった。その結果、製品戦略で後れを取り、サラリーマン主義の蔓延も相まって逸脱行為が長期化してしまったわけだ。
世界の製造業はモジュール化の進展によって日本のように全てを自前で生産する「垂直統合型」から、米アップルに見られる生産委託の「水平分業型」へシフトしている。自動車も従来は部品の互換性が低いことから水平分業は進まなかったが、コモディティ化やEV(電気自動車)の普及によって、徐々に水平分業型へ移行している。にもかかわらず、日本のメーカーは過去の成功体験に固執、製造現場の能力に経営者が甘え、技術力に依存しない高度で戦略的な経営能力が欠落していたのである。
たしかに現場からのフィードバックは改善には有効だが、事業環境の激変には現場主義だけでは対応できず、従来の枠を超えた斬新なアイディアは生まれてこない。
グローバルな産業界では異業種の参入など別次元のステージに突入しているが、早くもITやAI(人工知能)、EVなど先端分野で欧米や中国の後塵を拝しているわが国に、不祥事で手間取っている暇はない。硬直化した組織やカルチャーの再構築は容易ではないが、それでも一刻も早く、総合力と日本の武器を生かした戦略的なビジネスモデルを模索し始めなければ、それこそ取り返しがつかなくなる。
ところで、今回の不祥事のダメージが最も深刻なのはやはり神戸製鋼である。
(後略)