記事(一部抜粋):2017年6月号掲載

連 載

【田中康夫の新ニッポン論】

人間主義・行為主義

「有ったものを無かったものにする事は出来ない」。文部科学省の元事務次官・前川喜平氏の会見に於ける言葉です。
 堀潤氏が進行を務めるTOKYO MX「モーニングCROSS」で僕は、「二項対立を超えて~行為主義こそ、しなやかな是々非々~」と題し、前川氏の発言と営為を巡る「政治主導」側の右往左往を“とば口”に、真の指導者の「あり方」とは何かを語りました。
 冒頭、人間主義と行為主義の違いを説明しました。前者は「人道主義」に非ず。肩書や風貌で人物を判断するのが「人間主義」です。一例を挙げれば警察の職務質問。二輪車に跨がった長髪の青年は、普通自動車に乗った背広姿の壮年よりも運転免許証の提示を求められる確率が高いでしょう。
 斯くも往々にして人間主義は硬直した“勧善懲悪”へと陥りがち。同時に、粉飾決算に象徴される不祥事は、「地位は人を駄目にする・富すれば鈍する」の新しい格言を人口に膾炙させています。
 一つひとつの行動で人物を判断するのが「行為主義」。阪神・淡路大震災の発生直後、「生きていたら声を出せ」と倒壊した文化住宅の扉を順番に叩いて、反応の有った部屋から独居の高齢者を助け出した茶髪少年達の逸話を想い出します。それはトリアージの「形式知」を遙かに超えた「暗黙知」としての状況判断・認識能力。
 が、周囲から賞賛されて有頂天となった彼らが万引を働いたなら、咎めを受けるのは当然。「行為主義こそ、しなやかな是々非々」と申し上げた所以です。
 にも拘らず、当初は「怪文書」として闇に葬る算段だった代物が、「公文書」ならずとも「公用文書」ではあるらしいと認識され始めるや、「出会い系バー」云々の行為主義ならぬ人間主義のレッテル貼りに勤しむ展開に。「まさか、平清盛が都に放ったという『かむろ』のごとき密偵が、東京の盛り場をうろついているわけでもあるまいに」と「日本経済新聞」第1面「春秋」は微苦笑しています。
 辞任後に二つの夜間中学校で教鞭を、更には貧困が原因で中退した子供達を学習支援する現場にもヴォランティアで毎週、参加している前川氏の行為主義を複数のNPO関係者が明らかにすると、吉原通いが週刊誌に報じられた元総務大臣、政治資金収支報告書にSMクラブ名が記載されていた元経済産業大臣との彼我の違いも、人口に膾炙する始末。
「この国のかたち」でなく「この国のあり方」を弁証法的に捉えねば、進化も深化も日本には訪れず、と申し上げてきました。政策本位の政治が実現すると喧伝された小選挙区制が国会議員の劣化を齎したと慨歎される昨今。制度さえ変えれば世の中がバラ色になる訳もなく、当選者・支援者に留まらず一人ひとりの国民の心智が問われている、との公理の証明です。
 今回の一件も、「政治主導」VS「官僚主導」、「規制緩和」VS「既得権益」の不毛な二項対立を超える上での教訓とすべき。内閣人事局の設置が霞が関官僚の萎縮と不満を増大させたと捉えるのは些か浅薄。官僚が積み上げてきた施策や流儀を一刀両断する政治主導は如何か、と指摘する向きに至っては取り分け。
 解雇や倒産とは無縁なパブリック・サーヴァントの官僚も、選挙で審判を受けるサーヴァント・リーダーの政治家も、国家益や組織益とは異なる「国民益」の実現に向け、同じベクトル上で粉骨砕身すべき存在。而して、真の指導者には「的確な認識・迅速な決断と行動・明確な責任」の覚悟と李下に冠を正さぬ倫理が不可欠。でなければ、「政治主導」という名の「規制緩和」も所詮は新たな「既得権益」を生み出し、国民益を毀損させる結果が訪れてしまうのです。

 

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