記事(一部抜粋):2017年1月号掲載

連 載

【流言流行への一撃】西部邁

日露――敵対と協調の二百年

(前略)
 法律史からいえば北方四島は日本のものである。とくに、1945年8月8日のソ連による日ソ中立条約の一方的破棄とそれに次ぐ満州・樺太・北方四島への侵略のことに注目すれば、ソ連の後継者たるロシアを不法者と詰ることは十分に可能である。だが、あの第二次大戦の構図は連合国対枢軸国の対決というものであり、ロシアが前者に与し日本が後者に加わっていたことはいうまでもない。それどころか、日本が受諾したポツダム宣言には「カイロ宣言を踏まえて」と明記されており、そのカイロ宣言(署名がないという意味でデタラメな国際法めいたもの)には「日本は野蛮国であり明治期以降にスティール(盗み)かつテーク(略取)した土地は返還すべしとすら明記されている。
 そしてヤルタ会談で、親中・親ソのルーズベルト米大統領が中国には沖縄を取ることをまで、そしてソ連には北海道を取ることをまで勧めたことはすでに歴史的事実として判明している。こうした経緯のあとに、日本が北方領土を「我が国に固有の領土」と言い張るには、よほどに強い政治的決意と軍事的な準備がなければならない。北海道庁の玄関に「北方領土を返還せよ」との横断幕を掲げただけで「固有の領土」の証拠とするのはあまりに「ひよわな花」(Z・ブレジンスキー)の振る舞いにすぎない。ロシアの(19世紀初頭時の南下政策に始まる)横暴を批判するのも結構だが、それと同時に戦後日本人の(対米従属にかまけた)独立心の欠如のことが自覚されなければならない。
 領土問題の難渋に惹き込まれるくらいなら、もっとゆったりと、「近代化の歴史」における日露の共通性について、政治家や外交官には議論を活発にやってもらいたいものだ。夏目漱石の言葉をかりれば、日本の近代化は、ロシアもそうなのだが、「外発的であって内発的ではない」。換言すると、当該の国民の精神の内部から自発的に起こったものとして近代化が進められたのではないのである。日本にせよロシアにせよ、西欧(および米国)の列強に対抗する必要上、近代化を取り入れたにすぎない。
 しかもそのモダナイゼーション(近代化)の実態は何かとなると、端的にいって、新奇な技術と刺激的な世論に舞い上がるマス(大衆というよりも、それぞれに孤立していながら砂山のように群がっている大量の人々)の好みそうな技術と理屈におけるイノヴェーション(変革)を提供することなのである─ここでモダンがモデルおよびモードの同類語だと知っておくのが肝要だ─。つまり、新奇で操作しやすい模型と刺激的で目立ちやすい流行にとびつくのが近代人の行動類型だということである。
 武士道の名残りを失っていなかった明治人やロシア正教の訓戒を忘れていなかった(ニコライ朝までの)ロシア人は、19世紀以来、この西洋近代化を半ば受け入れつつもそれに半ば反発した。そして日本やロシアの(個人でいえば)セルフアイデンティティを、(国家でいえば)それぞれのナショナリティを、いかに保持するかが両国の良質な人々の抜き差しならぬ課題となった。
 そのことを少し具体的にいうと、「集団運営法」のなかに自国民の文化的慣習や政治的決断をいかにうまく組み込んでいくかという問題となる。つまり、グローバリズムにおけるような技術的効率や金銭的損得に完全に道を譲るというようなことはできるだけ避ける、それが日露の(2世紀間に形作られた)国民性における類同性だとみることができる。そのことについて相互理解が進まないかぎり、日露外交がうまく進展しないのみならず、米中に挟撃されつつある日本が両者を牽制する駒として日露関係を上手に利用するということも叶わぬであろう。
 今、「グローバリスムの破綻」が誰の眼にも明らかになっている。グローバリズムの典型例ともいうべきTPPについて、トランプ次期米大統領は「それを批准せず」と明言している。もう覚えている者とて少ないであろうが、我が国の親米派がTPPを弁護する際に持ち出したのは「日米同盟強化のために」という理屈であった。それが100%否定されたのに、日米同盟論者たちは知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。かかる公明正大さの完全な欠如は、晩かれ早かれ、内政のみならず外交にあっても禍根を残すことになる。
 TPPだけが問題なのではない。我が国は、国際社会へ向けて、アメリカの猿真似のようにして「自由民主の価値観外交」の旗を掲げている。しかしKGB出自のプーチンは「国民秩序なしの自由」が放縦放埒に流れることも、「国民良識から離れた世論」が(ポピュリズムつまり人民主義というよりも)ポピュラリズムつまり人気主義によって振り回されることをよくわきまえているに相違ない。
 しかもアメリカ流価値観外交が世界各地に眼を覆いたくなるような戦争と混乱をもたらしている。もし国民性を大事とするのなら、掲げるべきは自由民主(という近代的価値)ではなく、各国の歴史性を重んじることとしての「活力公正」でなければならない。そのことに近代主義者たちはまだ気づいていないのである。
(後略)

 

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