記事(一部抜粋):2016年11月号掲載

連 載

【コバセツの視点】小林節

「政務活動費」が改めて教えてくれる人間の本質と憲法

 もう旧聞に属するが、あの兵庫県議の号泣記者会見で「政務活動費」の問題がようやく周知の事実になった。
 あれは、予算の議決権を有する議員たちが自分たちに都合の良い「第二の歳費(年俸)」を御手盛りで決めて貪ってきた……という話で、その制度は全国的になくなってはいない。
 あの兵庫県議は、一人会派(つまり、守ってくれる仲間がなく)しかも余りにも露骨な不正受給であったために、メディアが過熱し世論が沸騰し赦されようがなくなり、あのような結末に至っただけである。
 あの「不正が許される制度」が全国的に存続している以上、同質の事例はそれこそ「ごまん」と存在しているはずである。なぜなら、あれは制度と人間の本質に由来する不正で、その前提条件がなくなっていない以上、不正もなくなりようがないからである。
 現に、あの兵庫県議の話題で大騒ぎになっていた時に、他の長老兵庫県議(少なくとも二名)も同様の疑惑でマスコミに追われたが、逃げ切ってしまった。それは、単に世論の関心が持続しなかったからに他ならない。
 そういう意味では、あの刑罰を科された元県議は、今でも心の中では「慣行に従っただけなのに、なぜ自分だけがこんな目に遭わされなければならなかったのか?」と不満に思っているはずである。
 地方議員に初当選した者は皆、事務局から、歳費の他に「政務活動費」という第二の歳費が出ることを知らされ、驚き喜んだはずである。その上で先輩議員に尋ねたら「適当に領収証を出しておけば支給される」「交通費は公知の事実だから領収証がなくても請求できる」「適当に報告書を出しておけば視察『旅行』もできる」等の教示を受けたはずである。
 だから、大阪府堺市議が架空請求で得た金で車を買ったと言われた際にも、反省の記者会見をしただけで、辞職にも刑事処分にも至っていないが、そんなものも氷山の一角であろう。事実、最近も、富山市議会で同様の事例が発覚し、それは富山県議会にも飛び火した。
 私は、政務活動費の問題は、誰か特定の個人ではなく、私たち人間一般の本質を改めて直視するための良い事例であると思う。
 まず、人間は無限の欲望を持っている。そして、それが過分(つまり不当)な欲望であると分かっていても、それを満たしても社会的な制裁(ペナルティー)を受けないと気付けば、人間は簡単に悪事を行ってしまう存在である。
 だから、私たちの代表(つまり私たちと同質)である議員たちも、まず、「歳費を上げる」と言えば有権者の反発で次回は落選しかねないので、「政治活動に不可欠な政務活動費を増額する」と言い繕って第二の「財布」を作り皆で楽しんで来た歴史があるはずだ。
 この人間の本質が変わらない以上、政治家以下の公務員を統制する為に考案された憲法の本質も変わりようがない。
 にもかかわらず、自民党の改憲草案は、まったく「懲りない人々」の作品としか言いようがない。1.政府が憲法を使って国民を統制する。2.政府が公共の利益を口実にいつでも表現の自由を制約できる。3.自分たちの権力を固定化するために選挙制度を改悪する。自民党はこのような憲法に改正しようと提案している。
 この際改めて、政治家以下の権力者を統制する法が憲法であると確認しておきたい

 

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