記事(一部抜粋):2016年10月号掲載

連 載

【新ニッポン論】田中康夫

Tsukiji Fish Market

 国民1人当たり魚介類消費量はアメリカの3倍もの日本。僕は10年前から繰り返し述べてきました。情趣溢れる煉瓦造りで改築し、隅田川に面するフィッシャーマンズ・ワーフとして場内・場外を一体的に整備すべし。日本の食文化の聖地として訪日客の人気を集める「TSUKIJI」は、今や交番、カラオケと並んで世界用語です。
 にも拘らず石原慎太郎知事は1999年の就任直後、築地市場は「狭い、古い、危ない」と高言。1日200万㎥の都市ガスを20年間生産の豊洲ガス埠頭跡地への移転方針が動き出します。LNG=液化天然ガスを輸入する以前、都市ガスの原料は石炭でした。
「豊洲移転は、弊社といたしましては基本的に受け入れ難い」。東京ガスは翌2000年、東京都に文書を提出。「土壌処理や地中埋設物の撤去等が必要」。「大変な改善費用を要することになります」と述べ、「事業用地として、弊社は開発構想・先行計画を有しており、市場移転には同意できない所であります」と明言しています。
 そもそも東京都は、築地での再整備計画を総工費2380億円で策定。1993年の起工祝賀会に、当時の鈴木俊一知事も出席。が、東京臨海副都心での世界都市博覧会を青島幸男知事が中止した翌年の1996年に突如、380億円も執行済みの工事は何故か中断。豊洲移転計画が浮上します。
 老獪な都庁官僚に籠絡された定見無き「意地悪ばあさん」と異なり、海を愛する「裕次郎の兄」たる“文人”知事は卓袱台返しを敢行するかと思いきや追認し、環境基準値を遙かに上回る土壌汚染地への移転を2001年に決定。
 東京ガスが同年に再調査した数値は発がん性物質のベンゼンが1500倍、青酸カリの一種のシアン化合物が490倍、ヒ素ミルク事件のヒ素が49倍、水俣病の水銀が24倍、内臓疾患を誘発する六価クロムが14倍。揮発性のベンゼン、シアン、水銀は常温でも気化する公理も含め、決裁権者が知らなかった筈もありません。
 築地「跡地」に五輪メディアセンターを建設し、閉幕後にはNHKが入居する計画が囁かれていた2008年、都の調査で4万3000倍とベンゼンが30倍も増大。総工費3000億円が批判を浴びた新国立競技場の2個分6000億円もが既に投じられた豊洲新市場の「経緯」です。
 問題山積の地に何故、と「暗黙知」で疑念を抱く国民が腑に落ちる絵解きもせず、「食の安全は譲れない」と今頃になって社説で宣う一方、盛り土をしないと決めたのは誰か、と「形式知」な粗探しに血道を上げる日本のメディア。
 ナポレオン3世時代に誕生したパリ1区の中央市場=レ・アールをオルリー空港近くに移転したものの、無味乾燥な跡地利用が市民の不評を買った苦い教訓をフランスは活かし、パリ万博が開催の1900年に竣工のオルセー駅を再生し、1986年に印象派のオルセー美術館を開館。年間350万人の来場者数を誇ります。
 築地と同じく中心街の中之島から程近い大阪市中央卸売市場は15年の歳月を掛けて建替が行われました。分秒単位で列車を運行し、百貨店も営業する中で「渋谷大改造」を実施する技術も、日本のゼネコンは有しています。
 莫大な売却益が見込める23ヘクタールの築地市場。“マネーロンダリング”的発想で白羽の矢が立った移転先には、目利きなれど口五月蠅い仲卸業者の淘汰を促す深謀遠慮なのか、市場の競りを通さず相対取引する大手流通業者向け敷地が築地の2倍も設けられています。金額には換算出来ない文化や歴史をどう捉えるか。それは人間の体温が感じられる「いちば」と、数字が全ての「しじょう」を巡る哲学の違いでもあるのです。

 

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