今年に入ってから、何人ものジャーナリストと政治家から次のような警告を受けていた。曰く「小林が7月の参院選に出馬すると見て、それを快く思わない政治勢力が小林のスキャンダル探しをしているので気をつけるように」。
その後、最近になって、「小林が、特定の右翼団体と親密で、今は左翼と親しいようだが、いかがわしい人物である旨の情報がネットで拡散されている」旨の報告がしばしば入って来るようになった。
そこでまず、大切な前提問題を確認しておくが、私もひとりの自由人として「結社の自由」と「信教の自由」という人権が保障されているという事実を忘れないでほしい。
「結社の自由」とは、各人がそれぞれ自分の好みに従って誰と付き合おうが(誰と友だちになろうが)それは各人の自由で、それを他者がとやかく言うべきことではないということである。
20年以上前に、私の天皇論が気に喰わないと言って街宣車で押し掛けて来た民族派政治結社(大行社)があった。その時、私は逃げずに討論に応じ、その行動隊長と人間的な信頼関係を築くことができた。そして、10年程前に知人の葬儀で彼と再会し、大行社の顧問に就任することを頼まれ、無報酬を条件に、「彼らが違法行為を犯さないように、目付として」引き受けた。組織の新年会に招かれた場合に私が来賓スピーチに指名されるのは普通のことで、さまざまな会場で「ツー・ショット」写真を求められるのも日常茶飯事である。その中の1枚をネットの海の中から拾い上げて並べて、私がいかにも怪しい団体と怪しい関係にあるように示す行為こそ、単なる誹謗中傷で、私としてはそんなものには責任を感じようがない。
また、真面目な民族派団体・一水会の代表・木村三浩君は私の教え子である。だから、彼とは飲み友だちであるし、意見の違いから論争になることはあるが、彼らの勉強会にも度々参加して、講演もするし、周年行事の来賓スピーチも引き受けた。
さらに、まさに「星の数ほど」撮らせてあげたツー・ショット写真の相手の一人がかつて「反社会的」組織の一員であった(?)とか、いわゆる「前科者」であった(?)としても、そんな事で私が責任を取らされる謂れはない。
私を批判したいならば、私は、付き合った(あるいは付き合っている)人々と一緒に違法行為を行ったことはないという事実を直視してほしい。
このような私の「自由人」としての人生の流れの中で、今、私は共産党(左翼)の人々とも親しい。かつては国会の参考人質疑で私に「罵倒」質問のようなことをしていた国会議員とも、今では胸襟を開いて話し合える仲になっている。だから、この人生はけっこう楽しい。
その点で、むしろ最近の保守系の言論人の方がそうした心の柔軟性に欠ける人物が多いように感じられる。つまり、議論で意見が異なった場合に、相互に相手の主張の「理由」を吟味し合う論争に発展するのではなく、以後の論争の拒絶か平行線(水掛け論)になってしまう場合がほとんどである。そして、いずれ「人格批判」が返って来る。
「裏切り者」(別に忠誠を約した記憶はないが)、「変節漢」(理由を明示した学説変更なのだが)などと呼ばれても、呆れて、答えのしようがない。