(前略)
ごく大雑把に言えば、あの会見は、脇の甘い地元秘書が性質の悪い政治ブローカーに嵌められたという物語だ。一色氏の正体が何者なのか知らない以上、甘利前大臣は監督責任を問われるにとどまる道理だ。
しかし、本当に、甘利前大臣は、一色氏の背景を何も知らなかったのだろうか。甘利氏の履歴を仔細に点検していくと、そのソフトな外見から受ける印象とは少々異なる面があることに気づかされるのだ。
神奈川県厚木市出身の甘利前大臣は、地元県立高校を経て、慶応義塾大学法学部を卒業後、ソニーに就職。ほどなく新自由クラブに所属していた実父、甘利正元衆議院議員の秘書に転じている。その後、父親の地盤である旧神奈川3区を引き継ぎ、1983年に初当選。以来、当選回数は11を数えるが、彼の政治人生は必ずしも平穏ではなかった。
例えば1993年には、甘利氏が自身の名前を冠した2つの政治団体を利用して支援者の脱税を手助けしていた件が、新聞各紙に報じられた。政治団体に寄付された政治献金を水増しして神奈川県選挙管理委員会に報告し、支援者に所得税の還付金を不正に受けさせていたのである。前大臣はこの際、問題の政治団体については「活動を把握していなかった」と、釈明している。
ほかにも07年、甘利氏が第1次安倍政権で経済産業大臣に就任直後、「経済産業大臣 衆議院議員 甘利明 全国後援会 甘山会 会長室長」を名乗る人物が、都内の病院に対する業務上横領容疑で逮捕された。この人物は玩具メーカー、バンダイの山科誠元社長と親しく、山科元社長とともに甘利氏の資金管理団体である甘山会の運営に携わっていたとされた。しかし、この時も甘利氏は
「甘山会の役職に会長室長という肩書きは存在しない」
と、知らぬ存ぜぬを決め込んだのだ。
自民党関係者が説明する。
「甘利さんは新自由クラブが解党後に自民党入りした外様で、中選挙区時代から厳しい選挙を戦ってきました。小選挙区になり、小田原市や厚木市を中心とした旧神奈川3区から、大和市や海老名市を中心とする今の神奈川13区に選挙区が移されると、一から後援会づくりをする必要もあった。つまり、カネ集め、票集めで無理を重ねた経験があったのです」
だが、それだけではない。神奈川県警関係者は決定的なエピソードを明かすのだ。
「甘利さんは、選挙区が旧神奈川3区だった当時からの付き合いで、厚木市に隣接した相模原市の右翼団体『日華同志会』の前会長と、親しい間柄でした。第1次安倍政権で甘利氏が経済産業大臣に就任した際には、大臣室までわざわざ日華同志会の構成員を呼び寄せて、『経済産業大臣』の役職名が入った新しい名刺の束を秘書を通じて渡していましたからね。前会長は、当時の構成員らに対して『この名刺は好きに使っていいから』と、その名刺をばらまいていました」
実は、一色氏が甘利事務所に食い込むきっかけをつくったのは、その日華同志会の元構成員だったという。
(後略)