「政治の劣化」「政治家の劣化」という言葉はもはや聞き飽きたが、それでも、それをまた使うしかない状況が続いている。
言うまでもないことであるが、「政治」とは、生身の人間が権力という強大な力を預かり行使して、国民全体の幸福の増進を図る業である。それだけに、その政治家の個人的な資質は決定的に重要である。
まず何よりも、人間は強い者ばかりではなく、特に弱い者ほど公の力による支援を必要としている。だから、政治家は、弱者の気持ちが理解できる者でなければならない。よころが、先祖に華族や首相がいて財閥の御曹司である麻生財務相は、複雑な新消費税の導入による混乱で「つぶれる業者もある」と言って平然としている。
また、高度な文明の中で暮らす現代の政治を司る者には、当然に普通以上の教養が要求されている。にもかかわらず、多様な意見が自由に行き交う社会状態なしには民主主義は正常に機能しないという前提知識を共有しない高市総務相は、自分たちに同調しないジャーナリストの発言を「不公平」であると一方的に認定し、そのような内容を繰り返した放送局は電波を使用する許可を取り消す等のペナルティーを課すと嘯いて恥じていない。丸川環境相は、年間被ばく1ミリシーベルトという安全基準には「何の根拠もない」などと断言して平然としている。島尻沖縄・北方担当相は、北方領土の「歯舞」諸島という漢字が読めなかった。
さらに、国民生活の中で権力を行使して利害を配分する任務に係わる政治家は、我田引水の欲望に負けかねない立場であるが、それだけに一般人以上に厳しい倫理観が要求されている。その点で、甘利前経済再生相の「口利き」疑惑も遠藤五輪担当相の「口利き」疑惑も高木復興相の「下着泥棒」疑惑も、論外である。
ところで、最近の、丸山参院議員の「奴隷」発言には驚かされた。同議員はアメリカ留学経験のある高名な弁護士である。その丸山議員が、オバマ大統領が「奴隷の子孫である」旨の発言をしたという報道に接した。しかし、周知のとおり、同大統領の父親はアフリカからのエリート留学生で母親は白人のアメリカ人である。丸山議員の発言は一体何を言いたかったのかも不明である。そこには弛緩しきった与党政治家の姿しか見えてこない。
あの「育休」宣言前議員も御粗末極まりない。大体、議員という立場は、本来的に「職業」ではない。職業とは、本来、自己の能力で社会の役に立ってその報酬で生活するための社会的立場のことである。こう説明すると、「だから議員は職業だ」と言う者も多い。しかしそれは誤解である。つまり、職業とは、例えば、医師、弁護士、教師、一般職公務員、商店経営者、会社員、専業主婦などのことで、「議員」とは、そのように「職業」を持った人々が、時々、国や地方の政策決定に参加するために選ばれた臨時の立場で、それは、本来的に本職であってはならないものである。だから、妊娠する女性の産休は止むを得ないとしても、男性の側は、本来の職業において育休はあり得るとしても、それで議員の役割がまったく果たせないならば、議員は辞任して他者に代わってもらうべきものである。
絶対的多数の上に胡座をかいて緩みきった与党議員の言動からは、彼らが政治家でいる資格を疑わせるものがある。