日本では同義語と思われがちな「自由」と「民主」は本来、対極の存在です。「ボーダーレス=自由」と「ボーダーフル=ボーダーコンシャス=民主」。二つの概念のアウフヘーベン=止揚こそ、EU=欧州連合の壮大なる挑戦でした。
1985年に当時の西ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ5カ国が締結したシェンゲン協定。国境検査なしで締結国間の出入国を万人に許可する取り決めです。シェンゲン圏は現在、イギリスとアイルランドを除く全てのEU加盟国と、EU非加盟のアイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタインを含む26カ国で構成されています。
陸路のみならず空路、海路でも同様の対応。圏内人口は4億人を優に超え、面積も430万k㎡に及びます。正しく「ボーダーレス」。尤も今回のパリ同時多発テロを契機にフランスは国境で、旅券の提示を求め、出入国管理を強化する方針を打ち出しました。
けれどもテロの有無に関係なく、「民主」とは、自治的多文化主義を尊重するベクトルなのです。即ち、各地域の料理や言語、習慣や宗教etc.にこそ、人間としての真髄が宿ると捉える概念。世の中とは元来、ボーダーフルにしてボーダーコンシャスだったのです。
嘗て一世を風靡したボディコン=ボディ・コンシャス。1981年にミラノ・コレクションでアズディン・アライアが発表した、ボディ・ラインを強調したワンピースを嚆矢とします。それは当初、女性の自己主張や解放を意味すると評論され、後に日本ではディスコ・ブームと相俟って、他者を、取り分け異性を挑発する意匠として捉えられるに至ります。
コンシャス=consciousとは「敏感な」という形容詞。様々なボーダー=境界の存在を自覚・認識する営為なのです。自由と民主の「融合」を目指したEUを、止揚=アウフヘーベンと冒頭で説明した所以。が、その「融合」は、「3.11」の「核融合」同様に予期せぬ惨劇を今回、齎しました。
近時、「ニッポン凄いゾ論」が国内で跳梁跋扈しています。「日出ずる国」の「国柄」を声高に語る向きに留まらず、国籍の異なる伴侶を得て海外に在住する「日本人妻」が登場するTV番組でも。
料理や言語を始めとする日本の文化に一目を置く人々は、「オリエンタリズム」なる優越感の下に関心を抱く欧米社会に加えて、「第三世界」なる符牒で括られるアジア、アフリカ、ラテンアメリカにも数多く存在します。無論、「イスラム圏」に於いても。
にも拘らず、「ニッポン凄いゾ論」が殊更に幅を利かすのは、以下の深層心理と無縁ではないでしょう。明らかに優位に立っていた筈なのに、その自分達が近い将来、下り坂となり、何かを失うかも知れない、という不安と恐怖。それは、「民主」とも「自由」とも凡そ異なる、弁証法とは対極の「エスノセントリズム=自民族中心主義」に繋がる好ましからざるベクトル。
フランスに於いて、こうした未来への不安=恐怖を逆手に取って、豈図らんや、イスラム圏出身の移民2世、3世からも支持を集めているのが国民戦線のマリーヌ・ル・ペン。人工中絶を認める“世俗的政策”に加えて、シャリーア=イスラム法が禁止する同性愛も敢えて認める女性党首は、失業率の増加を招く新たな移民&難民流入に不安と恐怖を抱く彼らの琴線に、巧みに触れているのです。
とまれ、パリ同時多発テロが生起した11月「13日の金曜日」は、英仏連合軍が1918年にオスマン帝国の首都コンスタンティノープル=イスタンブールを制圧した日。何時の日か停戦、終戦が訪れる国家VS国家の戦争と異なり、宣戦布告なきテロは“終わりなき日常”。「国民国家」の試練です。