記事(一部抜粋):2015年12月号掲載

政 治

「改憲」を論ずることが馬鹿らしくなった

【コバセツの視点】小林節

 私は、三十数年前に大学の教壇に初めて立って(つまり、憲法学界の一員であると公に認知されて)以来、一貫して、日本国憲法の改正を主張してきた、だから、紛れもない「改憲派」である。
 ただし、「改憲派」と言っても、大きく分けて二派ある。
 第一が、圧倒的多数派であるが、私が「旧派」と呼んでいる改憲派である。それは、前提として、日本国憲法は米国から「押し付けられた」(だから手続きも)「内容も良くない」憲法である……という立場を採っている。この立場は、日本国憲法の下で「行き過ぎた」個人主義を改めるために、愛国心や家族の絆を憲法で義務付け、公の秩序と利益のための人権制約を強調する。加えて、憲法9条を改め、普通の独立主権国家らしく、自衛権と国防軍の保持を憲法典の中に明記し、海外派兵も可能にすることを主張している。さらに彼らは、靖国神社に対する公人による参拝を、習俗・社会的儀礼の内だとして合憲化することも提案している。
 第二が、私が主導する「新派」の改憲派である。それは、前提として、日本国憲法は、「敗戦国日本が戦勝国米国から押し付けられたものであったとしても、内容的に良い憲法である」という立場を採る。その上で、この良い憲法をもっと良い憲法にするための改憲を提案している。まず、日本国憲法制定時には明確な権利として意識されてはいなかったプライヴァシーの権利、行政権力が保有している情報に対する主権者国民の「知る権利」、環境権などを新しく明文化することと、さらに、より安全かつ合理的な憲法9条を提案している。つまり、9条を改めて、侵略戦争の禁止、自衛戦争の肯定と自衛軍の保持と、国連安保理決議に基づく場合のみの海外派兵……を明記する。そうすれば、自衛隊の憲法上の根拠を明確にできるし、米軍の二軍の如き海外派兵は禁止できる。
 私は、最近まで、このような「護憲的改憲論」を掲げて、旧来の護憲派とも旧派の改憲派とも論争を続けてきた。
 しかし、ここ2〜3年、安倍政権によるあまりに乱暴な、反知性的と言うか、そもそも日本語が通じないような「壊憲」に直面して、私は真面目に護憲的改憲を論じることが馬鹿らしいと言うか、空しくなってきた。つまり、新派であれ旧派であれ、改憲を論じるということは、「権力者は憲法を守らなければならない」という世界の常識を共有している者の間でだけ通用する話で、そもそも「憲法を無視する」と決めたと思われる絶対的権力者を相手に「護憲」的「改憲」を説くことに意味を感じなくなってしまった。
 かくなる上は、米国独立戦争当時のジョージ・ワシントン以下のアメリカ住民のように、国民を幸福にするためのサーヴィス機関であるはずの政府が国民に不幸をもたらすならば、それを倒す以外に道はない……と私は思うに至っている。
 海外派兵を禁じる憲法の下で、自衛隊を米軍の二軍のように派遣し、もともと敵ではなかったイスラム教徒によるテロを招き、米国に続く戦費破産を招き、TPPで日本の市場を米国に開放してしまうことによりわが国の食料自給能力を潰してわが国に対する米国の支配力を更に高める、こんな政府は要らない。
 国政選挙における野党共闘を実現して政権交代を行わせる、それ以外に道はない。

 

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