記事(一部抜粋):2015年11月号掲載

連 載

実力なければ協定は守られない

【流言流行への一撃】西部邁

(前略)
 自衛隊も安保法制も違憲だと私も思う。だがその法源たる憲法9条第2項は、成立時の道徳治や情治をめぐる混乱のことを取り除いて法律文書として読むと、悪法の最たるものとみるほかない。その文意は「侵略をしないでおくためには非武装と不交戦であることが必要」ということにほかならない。これは、自衛用の戦力でも認めてしまえば日本人は(9条第1項を無視して)侵略に向かう、もしくは自衛と侵略の区別について他国並みに判断する能力もないし努力も払われないので結果として侵略をやってしまう、そんな劣等民族だといっているのに等しい。これは歴然たる悪法であり、自尊と自立を願う日本人の徳治から離れること無限大というほかない。
「悪法もまた法なり」といってこのデタラメきわまる条項を弁護できるであろうか。私は法律学者どもに『ソクラテスの弁明』(プラトン)を読んでくれと切望したい。そこでは「悪法とて法なのだから、悪しき政治家たちがそれを執行して自分ソクラテスを死刑に処するであろう」といっているだけなのだ。良き政治家ならば、そして良き国民ならば、明々白々の悪法については、まず執行を停止し、次に死法とみなし、最後に(必要ならば)良法に改正するであろう。ともかく「悪法も法なり」という言葉を、法治主義の見地から「悪法の執行」のために利用するのは「法匪」であり、それゆえ我が国の法学者の大半は悪党の群れだとみなしてかまわない。
 9条第2項の文章は逆の形の文章として書かれるべきだったのだ。つまり前項の目的(侵略の禁止)を「達するため」ではなく、前項の目的に「反するような」武器使用や交戦形態は認めない、と表記しなければならなかったのである。日本語の初歩すらわきまえていないという意味で、これは100%の悪法である。この悪法にもとづいて原稿を書いたりデモをやっている手合いは、いいにくいことだが、馬鹿者の集まりとみなさざるをえない。
 注意深くいうと、政府に「非武装・不交戦」を要求する徳治というものもないわけではない。一つに、「民間のゲリラ」で的と戦うやり方がある、だが、そのゲリラの武器はどこから供給されるのか。どう考えても、素手で敵の高性能武器と戦ってただちに全滅するのがゲリラの末路であるに違いない。二つに、この民間ゲリラの変種としてマハトラ(大聖)ガンディのやろうとした「非暴力・不服従」というほとんど宗教的なやり方がある。殺されても犯されても傷つけられても、敵に服従せずに、ひたすらに前進して侵略者に抗議しつづけるというやり方だ。私にいわせれば、あの大東亜戦争で本土決戦での大被害を恐れた日本人が今さらガンディズムをふりかざすのは笑止千万というほかはない。
 と考えてくれば、日本国憲法の9条第2項(のいわゆる芦田均修正)は、あの大戦で腰を抜かした日本人の、「もう武器のことも戦争のことも語りたくない」という(この場では臆病にもとづく)情治の文章である。そしてこの情治は今も健在で、ある歌謡曲の文句をつかっていえば、「一本の鉛筆があれば戦争は嫌だと書きたい、一本の鉛筆があれば人間の命と書きたい」といった程度の話なのだ。鉛筆はこの国に少なくとみても1億2800万本あるだろうから、「戦争は嫌だ」と1億2800万回書くことで、国家防衛体制完了せりと思っているがよろしい。
 過ぐる55年前、日本だけがアメリカの軍事に協力する義務があるというのではなく、アメリカにも日本防衛に協力する義務があるというふうに日米安保が「改正」された。それに反対した──かつて私もその一人だったのだが──のは馬鹿騒ぎだったという定評もすでに確立している。
 だが、義務なるものは、それが果たされなかった場合、法律を管理する法務官僚から刑罰を科されればこその義務である。むろん、徳治というものもあるので、義務違反にたいしては道徳的な非難としての社会的制裁が科されることもある。ついでにいっておくと、こうした情治はリンチ(私刑)に発展することが多いので、刑罰が政府によって管理されて法治が中心となった、それが近代なのだ。
 ところで、国際社会には世界政府というものがない。またもしそんなものがあれば、各国の国民性がないがしろにされるので、世界は地獄の何丁目かに近づいていく。ともかく、双務的な外交上の約束をしたとて、相手がその約束を守らなかった場合に、誰がそれを咎めるのかという大問題が残るのである。その問題への答えは、当方が相当の政治的かつ軍事的な力量を持っていて、それで相手が約束を履行しなければならない、そういう場合にのみ、条約や協定というものに実効が宿るのである。
(後略)

 

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