記事(一部抜粋):2015年10月掲載

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「モーレツからビューティフルへ」

【新ニッポン論】田中康夫

「市場経済の暴走を憂慮し、社会的共通資本たる企業の評価基準には収益性のみならず、地域や環境への配慮も加えよと提唱した元経済同友会代表幹事“モーレツからビューティフルへ”小林陽太郎氏82歳で逝去」。富士写真フィルムから富士ゼロックスへと設立翌年の1963年に移籍し、1978年に45歳で社長に就任した“中興の祖”小林陽太郎氏の謦咳に幾度か接したのを想起し、冒頭の一文を僕はツイートしました。
 アジアで最初の国際博覧会「日本万国博覧会」が開催された1970年、「モーレツからビューティフルへ」と銘打った企業広告を展開します。「ビューティフル。人間は人間らしく生きようという、あたりまえの主張。」それは小川ローザのミニスカートがスポーツカーの“爆風”で捲れ上がる、前年に耳目を集めた丸善石油「猛烈ダッシュ(オー、モーレツ)」CMへのアンサーソング。当時37歳の小林氏が担当役員でした。
「休日を、明日また働くための日と考えずに、休むために休む日、そうはっきり主張したいのです。電車が入ってくると、われ先に急ぐ。信号が変わりかけると、走る。そんな習慣を捨てたいのです」。「豊かさの追求という名のもとに自然を、人間性を犠牲にしない。ビューティフルということばにはそんな願いがこめられています」。
 万博閉幕後には「いま、100億円かけて壊しています。あの万国博会場」のコピーに、「建物は、半年使っただけですからどれもまだピカピカ。使用ずみ、償却ずみのものとはいえ、見ているとちょっと複雑な気がします」の説明文を加え、ブルドーザーと瓦礫を大写しにした全面広告を新聞各紙に掲載しました。栴檀は双葉より芳し。経済同友会代表幹事時代に横溢する小林哲学の萌芽と言えます。
「いま、リーダーに問われるのは、経済性と社会性、人間性を両立させる判断力と決断力」。「ビジネスのあり方はプロダクトアウトからマーケットインへ進み、これからはソサエティインの世界へと入っていきます。マーケットの枠組みを超えて社会が必要とし、社会にとって価値あるものを探り、提供していく。とすれば、データや数字以上に、社会を構成する一員である自分に対して正直であることが何よりも大切です」。
 改めて再読し、奇しくも僕の生年に当たる1956年=昭和31年の『経済白書=年次経済報告』の深意にも思いを馳せました。
「もはや『戦後』ではない」の惹句で広く知られる同年の『経済白書』は、焦土と化した日本が復興を終え、「高度成長」へと突入していくバラ色宣言だと捉える向きが今でも過半を占めるでしょう。が、豈図らんや、「日本経済の成長と近代化」と副題を冠し、第2代目小錦八十吉の長男だった旧経済企画庁調査課長・後藤譽之助氏が執筆した同白書は、量の拡大から質の充実へと転換を促す、以下の認識に立っていたのです。
「消費や投資の潜在需要はまだ高いかも知れないが、今や経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされ、もはや『戦後』ではない」。「近代化──トランスフォーメーション──とは、自らを改造する過程である。そして自らを改造する苦痛を避け、自らの条件に合わせて外界を改造(トランスフォーム)しようという試みは、結局軍事的膨張に繋がった」。
 65歳以上人口が7%に達すると高齢化社会、と国際連合が定義したのも同年。而して日本が高齢化元年を迎えたのは大阪万博の年。三菱ケミカルホールディングスの小林喜光氏が経済同友会代表幹事就任会見で「これまでの延長線上に未来は無い」と述べた今年は、遂に高齢化率26.7%。量の維持から質の深化へと認識を変え、選択を変える元年とせねばなりません。

 

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