記事(一部抜粋):2015年8月号掲載

連 載

世界を混沌に導く世界警察

【流言流行への一撃】西部邁

 今世紀前半中に世界がカオス(混沌)とウォー(戦争)に覆われるのではないか、という(予測とまではいわぬが)予想が少しずつ強まっている。現に、米中の両軍事経済大国には国力衰退の兆しが顕著である、つまり一方で、アメリカが誇示してきた世界への覇権は今や箍がゆるみっ放し、とみてさしつかえない。それのみならずアメリカ国内にあっても、古き人種差別の再発のことも含めて、過剰な格差としての差別のせいで、社会秩序にひび割れが縦横に走りはじめている。
 中国も同様であって、不動産を中心にして膨らみ切った経済バブルがブチブチと破裂音を立てはじめているし、農工間あるいは地域間の差別に起因する巨大な人口移動は群衆のいわゆる盲流となって、巨大都市の底辺を砂状化状態に落とし入れている。EUにあってとて、ギリシャの財政破綻は氷山の一角であるにすぎず、ヨーロッパ合衆国の夢は四半世紀で潰え去る、といった傾きにある。そしてアラブやスラブやアフリカの様々な国民(あるいは民族)社会が出口なしの混迷に真っ逆様に墜落しているのは、もう見慣れた光景になっている。
 現在の国際秩序が危機の様相を呈していることにかんし、それを「世界警察たるアメリカ」の勢力減退のせいにする説が有力だ。しかしワールド・ポリス(世界警察)とはそもそも何であろうか。ワールド・ガヴァメント(世界政府)などは存在しないし、世界の画一化が地獄の沙汰なのであってみれば、それは存在してはならぬものでもある。ユナイテッド・ネーションズ(UN、国連)なんかは、単なる国際協議機関であるにとどまらず、安保理が常任国の拒否権で機能停止も同然となり、総会が弱小諸国の援助要請の場となっていることをみれば、世界政府の代用品になりうるような代物ではない。
 世界政府がないのに(アメリカが)世界警察を名乗ってきたのは、ようするにタイラント(僭主、正統性も正当性もない君主)のやり方だ。そんな国家が唱えるグローバリズムは、アメリカのヘジェモニー(覇権)を拡張すべくアメリカの流儀をグローバル・スタンダード(世界標準)として確立するための、政治的粉飾にすぎない。それは、かつてソ連が提唱していた(世界に社会主義を押しつけんとした)コミンテルンつまり国際共産主義本部の策謀と政治思想として同列のものである。
 アメリカの設定する世界標準に合わせなければ経済取引が順調に進まぬとの理由で、アメリカの流儀が世界を席巻してきたのは確かである。しかしそれは、「画一的な情報世界における金融力の支配」という事態をもたらす。それは、かつてマルクス主義者の主張した「国家独占金融資本主義」とも色合いを異にするもので、「一握りの金融資本家が、独占的な製造企業はむろんのこと、自国の国家のみならず他国の国家をも壟断する」といった調子のものなのだ。だからそれは、「国家破壊を通じた世界の画一化」という方向に進んでいる。コミュニスト(共産主義者)が果たしえなかったことをキャピタリスト(資本家)が代行している、といったのが今の世界風景となりつつあるということである。
 したがって世界警察を僭称するアメリカの軍事力もまた、アメリカと国家にというよりもむしろ、その国家を牛耳る金融(および情報)権力の覇権に奉仕すべく作動しているとみたほうがよい。
 社会の画一化が進むにつれて権力の集中化が進むというのは、マス(大衆人)の社会に通常にみられる現象だ。ここでマスというのは、「ウルトラモダン」な人々つまりニューモデル(新模型)のニューモード(新流行)に喜んで身をさらす手合いのことをさす。その意味で、世界警察という虚構はマス化現象が世界に広がったことの結果とみることができる。
 その世界警察の機構が瓦解しつつあるというのは、世界のマス化現象もまた暗礁に乗り上げつつあることの現れではないのか。それもそのはず、貨幣をはじめとする商品は(世界市場を通じて)すみやかに世界を駆け巡るというのに、人間の移動はごく限定されており、それゆえに「国民とその政府」としての「国家」もまた堅固に生き残り、それがそれぞれに独特の政策を立案実行している。少なくとも、国家政策が画一化されるまでには至っていない。どれほどグローバリズムが進んでも、各国の歴史と環境が異なっているからには、国家政策は国家ごとに独特であり、それらが互いに衝突してグローバリズムの進展を抑えるということになるわけだ。
(後略)

 

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