記事(一部抜粋):2015年7月号掲載

連 載

【流言流行への一撃】西部邁

近代主義を助長した近代軍隊

 「歴史認識」なる政治用語が日本海・東支那海の両岸に広まってすでに久しい。だが、その認識は期間をたかだか1931年の「満州事変」から1945年の「大東亜戦争終了」までの14年間に限られることが多い。長めにいっても1910年の「朝鮮併合」からの35年間にすぎない。そんな短期間に視野を限定して「歴史」とは片腹痛い、といってのける者がかくも少ないのがむしろ不思議ではないのか。
 19世紀初めにロシアが日本列島北部に現れたあたりからにせよ、その半ばにペリー来航があったときからにせよ、日本は「西洋諸列強」と対峙するのやむなきに至った。だから、大東亜戦争は西洋にたいして我が国が行った百年余にわたる自衛の準備・実行の歴史の一環として考察さるべきである。そうであってこその「歴史認識」だといわなければならない。敗戦からの70回目の8月15日を前にして、「大東亜戦争の決算報告」をしておく必要があると思われる。
 自衛とは「自国の安全を守るための、おおむね侵略にたいする報復としての、国家意思による武力の発動」のことであり、そして侵略とは「自国の覇権を広げるための、先制攻撃としての、国家意思による武力の行使」のことである。とはいえ、プリヴェンティヴ・プリエムプション(予防的先制攻撃)というものがあり、それが自衛と侵略のいずれに当たるかは、相手国の侵略準備の程度についての情報と判断が的確であるか否かに依存する。つまり、「予防を口実とする先制攻撃」というものがありうるので、自衛と侵略の区別は一般に難しいとみなければならない。
 だが、その区別は不可能だと断じてしまうと、戦争にかんする国際法や国内法もまた不可能になる。時間と費用をかければそれを区別できるとしてはじめて、自衛戦争の肯定と侵略戦争の否定という規範が、たとえば(米軍が草案を書いた)日本国憲法の9条第1項に認められているように、制定されるのである。問題は、近代日本の関与した「東亜百年戦争」の全体にかんして自衛度と侵略度の両方をどう秤量するかということではないのか。
 結論を急ぐと、1915年の「対支21箇条要求」あたりまでは、我が国の自衛性は(侵略性を目立って上回る形で)明瞭だと思われる。日清戦争も日露戦争も朝鮮併合も、自衛としての予防的先制攻撃であったとみてよいのである。それくらいロシアの主として朝鮮半島をめぐる南下政策が露であり、それにたいし中国も朝鮮も(不甲斐ないどころか)迎合の態度をとっていたのである。それは我が国への軍事的脅威が抜き差しならぬものになるということであり、したがって、中国にたいする日本の覇権を(西洋諸列強並みに)強化しようと図ったこの21箇条要求あたりまでは日本は侵略国などではなかった、と断定してさしつかえない。侵略を禁止する国際法が(1928年の「パリ不戦条約」というよりは「不戦の誓い」といった程度の道徳的宣言までは)まだなかったとはいえ、いわば政治道徳の面で、日本はみずからの侵略性の薄さを誇ってかまわないのである。それが「歴史認識」とやらの第一歩だといってさしつかえない。
 だが、1918年から22年までの「シベリア出兵」や1927年から28年にかけての「山東出兵」にあっては、侵略度が自衛度を多少とも凌駕していたと判断されて致し方ない。つまり「大陸に覇を唱えよ」(中江兆民)という日本国家の姿勢が少しずつ顕著になっていったと考えられる。ただし、それらはいわば局地戦であったので、戦争の規模としては、国家の命運に直接にかかわるような軍事行動とはみなされない。だから、1920年代にあって日本が(侵略性を剥き出しにする外交・軍事としての)帝国主義を際立たせていた、とまではいえないであろう。また、1921年の「ワシントン条約」にみられるように、我が国の軍事力への米英からの牽制が強くなりはじめもした。それのみならず、第一次大戦後の1920年代は日本が(関東大震災や金融恐慌などによって)混迷の度を深めつつあった10年でもあったのだ。
 侵略度が自衛度を明らかに上回りはじめるのは、1931年の満州事変や37年の日華事変などが生じた30年代においてである。日本がわには「自存自衛」のための「予防的軍事行動」という言い訳は残りうるものの、中国がそれらを侵略と受け取ったことに反駁を加えるのはきわめて困難である。それにとどまらず、米英蘭中の「ABCD包囲陣」を突破せんとした1941年12月の「真珠湾攻撃」は、それがアメリカの挑発に日本が乗せられた振る舞いであったとはいえ、あきらかに予防的先制攻撃としての自衛戦争なのであった。そしてその「百年戦争」をまとめて総括してみれば、「自衛度が侵略度をはっきりと超えている」とみてよいのだ。
 しかし、日本帝国陸海軍が(法律にはむろんのこと)道徳的に断罪されるいわれはない、と居直るのはいかがなものかと思われる。というのも、「巨大な軍隊のなす大がかりな軍事」は是非もなく(組織編成や武力行使にかかわって)近代主義に強く傾かざるをえないからである。
(後略)

 

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