記事(一部抜粋):2015年7月号掲載

政 治

世界から見ると非常識な日本の安保法制「論議」

【霞が関コンフィデンシャル】

 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法制の関連法案が今国会の大きな争点になっている。しかしこの議論、国際常識に照らすと、かなりおかしなことになっている。
 自衛権を個別的、集団的に分け、個別的はいいが、集団的はダメというロジックは、そもそも国際社会では通じない。自衛権はどこの国でも、刑法にある「正当防衛」と対比され、言葉も同じ「self-defense」である。日本の第9条のような規定のある憲法は世界では珍しくないが、そうした国でも集団的自衛権の行使は当然の前提になっている。
 日本に米軍が駐留していることは誰もが知っているが、実は国連軍もいる。米軍の横田基地に国連軍の後方司令部がある(司令部は韓国)。日本は、オーストラリア、カナダ、フランス、ニュージーランド、フィリピン、タイ、トルコ、米国、英国の8カ国と国連軍地位協定を締結しており、米軍の横田基地には、日本と米国の国旗とともに国連旗が掲げられている。
 こうした国連軍の体制は、1953年7月に朝鮮戦争が休戦となり、翌54年2月に休戦協定が発効して以来のものだ。ちなみに朝鮮戦争は現在も休戦状態であり、終戦ではない。
 このように日本が日本だけでなく極東の安全のために一定の軍事的な貢献を果たしていることは、世界から見れば常識になっている。
 国連にビルトインされている日本が、国連憲章で認められ、日米安全保障条約にも明記されている集団的自衛権の権利を行使しないという論法は、国際社会で通用するはずがない。
 今国会に提出されている安保法制は、そうした国際社会の理解に対する国内法制のキャッチアップの過程でしかない。これをもって「戦争のための法案」というのは、あまりに現状を知らなすぎる議論だ。そもそも自衛隊には海外への戦力投射能力はないので、侵略戦争など絶対にできない。
 集団的自衛権の行使を可能にすると戦争に巻き込まれるという考え方があるが、集団的自衛権のほうが戦争に巻き込まれず防衛コストが安上がりになるというのが国際常識だ。米軍が果たしている日本の防衛の役割を、すべて日本が引き受ける自主防衛にすると、そのコストは膨大なものになる。20兆円以上が必要という試算もある。
 米国と同盟条約を結んでいた国が第三国から侵略された例は、南ベトナムだけである。集団的自衛権には抑止力があるので、自ら仕掛けていかないかぎり戦争に巻き込まれる可能性は低い。むしろ、集団的自衛権は多数国の判断だが、個別的自衛権は一国のみの判断なのでより危険であるとされている。だから戦後、西ドイツは個別的自衛権を行使できず集団的自衛権のみが認められてきた。これが自衛権に関する国際常識だ。
(中略)
 南沙諸島のミスチーフ礁は1995年から中国が占拠しているが、もともとはフィリピンの支配下にあった。米軍がフィリピンから撤退したのを見計らって中国がこれを奪取、建築物を建て実効支配に及んだものだ。中国は自国の漁師の保護を建前としている。
 また、ファイアリー・クロス礁は88年に中国がベトナムから武力で奪取したもので、ここでの埋め立て工事を中国は急ピッチで進めている。昨年8月まではほとんど何もなかった岩礁だが、今年3月には長さ3000メートル、幅200~300メートルの人口島がほぼ完成。3000メートル級の滑走路と水深の深い港を建設中で、すでに南沙諸島で最大級の面積となっている。建設にかかった費用は1兆4000億円ともいわれている。
 ミスチーフ礁にしてもファイアリー・クロス礁にしても米国との安全保障がない、または事実上機能していない状況から、中国の進出を許している。国際社会はパワーのぶつかり合いであり、どこかが引くとかならず争いが生じる。その典型である。
(後略)

 

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