4月末におこなわれた安倍首相の訪米とアメリカ上下院合同議会での45分演説、それはアメリカでは幾度ものスタンディング・オベーションで歓迎された。
他方、我が国では、この「日米同盟の強化」なるものが、中国からの(尖閣をはじめとして)沖縄本島にまで手を延ばしかねない対日(侵略的)圧力にたいして、強力な抑止力になると安堵する声が多い。
対米軍事協力は、今回、第一に「後方支援から前線活動」へと拡大されることになり、第二に「人道支援や補給従事から武器使用も可の戦闘参加」へと戦争の内実に近づくことができるようになり、第三に日米安保の視野が「アジアに限定されず、グローバルな時代背景のなかで世界へと拡張される」ことになった。
このこと自体は、純軍事論としてみれば、当然なされるべき法制改革であった。またこの改革が中国の仕掛けようとしている「台湾から尖閣へ、尖閣から沖縄本島へ」という侵略戦略にたいして重要な抑止力となることも疑いえない。
だが、日米同盟なるものの強化には犠牲がつきものである。第一に、TPP(環太平洋経済連携協定)をはじめとする対米経済関係にあって、日本はアメリカの要求に大きく譲歩することになるのではないか。第二に、今後、アメリカは抑止力の提供者という立場から、日本社会の政治や文化をアメリカの御しやすい方向に改革せよと要求してくるに違いない。それは、「アメリカの属国もしくは保護領」の傾きにあったという日本の戦後レジームがむしろ完成に至る、という光景である。
自衛隊はこれからアメリカのなすかならずしも正当性を保証されていない戦争行為に加担するのやむなきに至るであろう。日本の議会での事前承認が例外なく必要とされているとはいえ、日本の各政治党派にアメリカの意向に真っ向から逆らう姿勢や気力が備わっているとは思われない。もしアメリカに逆らったら自分らが政権与党の座に就くことなどはありえないという恐怖が日本の政界を支配しつづけてきたのである。
アメリカはこれまで世界警察の立場を勝手に僭称してきたが、それこそが間違いの元だったのだ。世界政府などは存在していないし、また世界政府は(世界の画一化は排されるべきだという意味で)あってはならぬものである。国連とて世界議会なんかではなく、200近くの主権国家の利害の部分的調整機関にすぎない。たしかに国連を中心にして国際法なるものが形成されてきてはいる。しかし、それにたいする「解釈と運用」という具体的な次元に及べば、各国の歴史が異なっているからには、けっして統一的なものにはなりえない。
アメリカも我が国も世界警察という幻想のなかにまだ生きている。そしてアメリカの実力が低下してきたので、日本がその補強要員となる、というくらいに構えたのであろう。
違うのだ、世界はバランス・オヴ・パワー(勢力均衡)をめざすシステムとしてしか構成されえないものなのだ。
アメリカはこれまでも(世界警察ではなく)自国の覇権を守り広げる方向で軍事行動を展開してきた。問題は、日米関係にあって、アライアンス(同盟)とよぶ誇大表現が罷り通ってはいるものの、アメリカが「自分の犠牲において日本の防衛のために行動する」保証が一つもないことだ。
たしかに、アメリカは中国が東シナ海および南シナ海で勢力を拡張するのを警戒している。しかし米中は、一つに、すでに抜き差しならぬ経済的依存関係に入っているし、二つに、それぞれスーパーパワーとして互いに妥協しつつ世界支配に乗り出す、という可能性が大いにある。
尖閣を例にとっても、アメリカは「日本の施政権を認め、その施政権に大幅な変更を加えるような(中国の)振る舞いには反対する」と公言してはいる。だが、アメリカは「尖閣の領土権は日本に属する」とは認めてはいない。それすなわち「日本の対尖閣施政権は長期的に安定したものではなかった」といっているに等しい。だから、東アジアの情勢がどう転回するかによって、アメリカの尖閣問題にたいする処し方も動揺する可能性があるのだ。
どだい「他国の軍隊を自国のための(侵略)抑止に使う」というのは狂った防衛論である。抑止力はまずもって自国で強化すべきものであって、集団安全保障はそれを補強するという第二次的な意味しか持ちえない。したがって、いくら「同盟」を気取ってみても、抑止力を提供した国が当該の集団のキャプテン(総帥)となり、その抑止力に依存する国はプロテクトレート(保護領)に近いものになる。
安倍内閣は、「戦後レジームからの脱却」を唱えつつ、ついに「戦後レジーム」の完成を招来してしまった。なぜといって、戦後レジームの本質は「日本の対米属国化」の一点にあるからだ。中国恐怖症に陥った今の日本人が、みずからの「安全と生存」をアメリカに依存させつつ、「自立と自尊」をかなぐり捨ててアメリカへの軍事協力に馳せ参じた、それが今次の日米交渉なのだと断言してさしつかえない。命を守るために魂を売るの図である。
(後略)