記事(一部抜粋):2015年4月号掲載

連 載

【新ニッポン論】田中康夫

「爆買い」

「春節」と呼ばれる旧正月に中国から来日した観光客に、苦言を呈する人々がいます。“爆買い”するな、“マナー”を守れと。
 更には、銀座の街を席巻する光景はローマ帝国への“フン族の侵入”を彷彿とさせる、と寓言を。挙げ句の果てには、日本から閉め出せ、との妄言も。
 が、冷静に思い起こせば、高度経済成長期に「ジャルパック」で勇躍アメリカやヨーロッパに出掛けていた日本人も、同様に見られていたのです。泡沫経済期にはアメリカン・ドリームの象徴たるロックフェラーセンターを買収し、“善良な米国民”から白い目で見られたものです。
 そのアメリカにも嘗て、「ヨーロピアン・トラベル&ライフ」なる月刊誌が存在しました。編集・発行はコンデナスト社。旅行好きの僕も1992年の休刊まで定期購読していました。それはロンドン、パリといった大都市、ヴェネチア、プラハといった景勝地に留まらず、欧州各地の人々の暮らし向きを紹介する雑誌。同じく白い肌をした自分達の「ルーツ」としての欧州への憧れを体現していたのです。
 が、迎え入れる側のヨーロッパ人は、“アグリー・アメリカン”と冷笑しました。ホテル・レストラン・ブチックで散財してくれる有り難き存在だったにも拘らず。
 星霜を経て、眼鏡を掛けて・カメラを持って・添乗員と共に移動する集団を、今度は“アグリー・ジャパニーズ”とアメリカ人が揶揄するようになります。
 そうして現在、スマホを片手に“爆買い”する“アグリー・チャイニーズ”を侮蔑する日本人が少なからず存在する訳です。が、義憤を感じた「愛国者」が、「ビジット・ジャパン」を御旗に掲げてビザ発給要件を大幅緩和する日本政府に抗議を申し出た話は、寡聞にして存じません。
 2014年に来日した外国人は前年比3割増の1341万4000人。外国人旅行者が日本で使った金額も前年比3割増の1兆9320億円。日本人旅行者が海外で使った金額は1兆8069億円。今年の「旅行収支」は確実に逆転すると思われます。
 銀座の百貨店のみならず、心斎橋のドラッグストアでも医薬品に加えて化粧品や粉ミルクを“爆買い”する中国人が急増。売上げの3割を占める状況です。“爆買い”が日本の経常黒字を下支えする「歴史の輪廻」です。
 と記している内に、高度経済成長期から安定成長期へと移った1976年、ロンドンのハロッズで初老の婦人に「Queue=キュー=行列に並べ」と一喝されたのを思い出しました。
 サセックス大学で教鞭を執っていた父親の元を訪れた大学1年生の僕は、キャッシャーの場所が判らず、商品を片手にウロウロしていたのでした。割り込みを企んでいる“イエロー・ジャップ”と早とちりされたのでしょう。
 忠言・諫言したい中国人観光客の“マナー”に関する事例は事欠きません。が、それは1960年代から70年代に掛けてアメリカ人に、80年代から2000年代に掛けて日本人に、ヨーロッパのブチックや百貨店の従業員が感じていたであろう苦々しさにも、程度の差こそあれ、通じる行為なのです。とするなら、今度は我々が「キュー」同様の躾=ディシプリンを彼らに行っていく番でしょう。
 三井物産社長から旧・日本国有鉄道総裁を務めた石田礼助氏を描いた城山三郎氏の作品「野にして祖だが卑ではない」を捩れば、卑でない中国人養成作戦。少なくとも彼らは日本の商品に「安心・安全」を期待していて、それは中国本土に於ける市場開拓へと繋がるのですから。

 

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