記事(一部抜粋):2015年3月号掲載

連 載

【流言流行への一撃】西部邁

戦雲に包まれゆくグローブ

 早くも旧聞になってしまったが、イスラム国で惨殺された二人の日本人のことをめぐる言論・世論についてもう少し論じておく必要がある。
 まず、「そんな危機に満ちた地帯に(手前勝手な動機で)無防備のままに入り込んだ当人たちに問題がある」とする論があまりにも少ない。また、「日本国家が(反イスラム国の)有志連合に加わった」ことを外交論としてどう評価すべきか、何の議論も行われていない。外交は国際法を前提にしなければならないのだから、イスラム国にせよ有志連合にせよ、彼らの武力行使を正当化するような明確な国際法がないからには、双方が国家テロをやっていることになる。となると、有志連合への加担は我が国の国益という見地から、政治論として論議されるしかない。
 いずれにせよ、「人道的支援」というヒューマニズムは似非の論拠にとどまる。なぜといって、イスラム国への人道的支援が考えられていないからには、それは(アメリカを中心とする)片方だけへの支援にすぎず、そんなものを人道と呼ぶわけにはいかないからだ。
「3万人のテロリスト集団」とレッテルを貼られているイスラム国が突如として出現し、シリアとイラクに支配域を広げるのみならず、世界中のイスラム教徒から少なからぬ支持を受けるようになっているのは、一体全体、いかなる経緯があってのことか。まず指摘しておくべきは、それはアメリカのイラク侵略に端を発しているということだ。だからこそ、「イラクのアルカーイダ」がイスラム国の母体となったのである。
 イスラム国にたいしてあえて好意的にいってみれば、IS(イスラミック・ステート)は、西洋の諸大国がイスラム文化圏を支配したり破壊したりしてきたというここ百年間の歴史に反逆してイスラムのステート(状態)を取り戻す、という意味でのレコンキスタ(失地回復)の運動だとみてさしつかえない。
 とはいうものの、マスメディアではまったく論評されていない一つの有力な仮説がある。それは、主としてイスラム国に反発を覚えているイスラム教徒のあいだに広まっているもので、「ISを作ったのはアメリカやイスラエルの(シリアのアサド政権を破壊せんとする)目論見による」というものだ。さらにその仮説の延長に「アメリカによるイスラム国への空爆はいわゆるマッチポンプの国際版だ」という見方が出てくるのである。
 私にはその説の真偽について喋々する気持ちも能力もない。ここでいいたいのは、テロ反対とか人道支援とかいった甘ったるい口説では如何ともしがたい類の、怯気をふるうような、政治的かつ軍事的なリアリズムがアラブの砂漠で展開されているのではないか、ということについてだ。
 有志連合の謀略に満ちたリアリズムを批判しているのではない。そのむごたらしいリアリズムに日本の安倍政権が加わろうとしているのを難詰しようというのですらない。ただ、危機をはらむかかるグローブ(地球)の現状に、グローバリズムの風に吹かれてうかうかと巻き込まれていくのは、世界観を欠いているという意味で、あまりに愚かだといいたいだけのことだ。
 今の世界におけるヘゲモニー(覇権)はあきらかにアメリカによって握られている。そのヘゲモン(覇権要素)たる金融と武器もアメリカによって供給されている。しかし、前世紀末から顕著なのは、その供給力がアメリカにあって衰えつつあるという一事である。そうであればこそ、「イスラム国への壊滅作戦」に地上軍を投入する勇気がアメリカにないのである。
 そうした状況の動きを、おそらくは、安倍首相たちはよく承知したうえで、「人道支援」の名目の下に、対米協力を一定の範囲内にとどめようと目論んでいるのではあろう。
 だが、我が国における言論・世論は、一方でイスラミック・テロルの恐怖を煽るのに忙しく、他方で「自衛隊の海外派兵は憲法違反だ」と難じるのに懸命である。要するに、独立国として現下の世界情勢にどう対処するか、という自発的意思が日本国民と日本政府の両方に著しく不足しているのである。
(後略)

 

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