「朝日の誤報・虚報」をめぐる事件は、あっというまに沙汰止みとなった。それは、その事件を深追いすると、全メディアの後暗い正体が明るみに出てしまうという懸念がメディア界にまたたくあいだに広がったせいだ。しかし、真に論ずべきは、メディアにおける報道や解説のいいかげんさについてなんかではない。戦前日本をロウグ(ならず者)国家と見立ててきた「朝日」の姿勢を、ほかのメディアが共有してきたのかどうか、それが焦眉の課題なのである。
戦前日本を「野蛮国家」と断罪したのは「カイロ宣言」においてであり、日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」にも、そのカイロ宣言の趣旨が正式の形で盛り込まれている。そのポツダム宣言を日本が受容したがゆえに、いわゆる「東京裁判」が催されたのであるし、その裁判の判決を受け入れることを条件にして「サンフランシスコ(日本独立)講和」が成り立ったのだ。
だから、純法理的にのみいうと、戦後日本は戦前日本を悪玉とみなしつづけているのであって、これは「朝日」にかぎられたことではない。「ポツダム体制」にコムプライアンス(遵法というよりも従順)を誓う者たちのすべてが、日本国家にかんする総体論としていうと、「戦前日本は台湾、挑戦、樺太をスティール・アンド・テーク(盗み取り)した」(カイロ宣言)といった類の「自国の歴史にたいする総体的な否定」を受け入れていることになるのである。
それらの「宣言」(という形における国際法)に屈したのは、日本の政治的妥協にすぎない、という歴史解釈を打ち立てなければならない。東アジアで、よく「歴史認識」のことが話題となるが、まさにその通りで、「ポツダム体制は敗戦国の政治的妥協にすぎない」のであるから、我が国の政府も国民も、歴史認識として「戦前の日本国家にも正当性があった」とそろそろ公認してよいはずなのである。
忘れてならないのは、ポツダム体制の先導者はアメリカであった、という一事である。第二次世界大戦を「民主主義の(米英中心の)連合国」と「全体主義の(日独伊)枢軸国」のあいだの対決ととらえ、前者の(政治的のみならず道徳的な)勝利を全世界に宣言するところから国連をはじめとする国際法形成の場が設けられたのだ、ということを確認しておかなければならない。
全体主義は、民主主義がみずからの発展の限界に達して機能しなくなった段階で、国民投票のような民主主義的な手続きによって、民主主義を自己否定することによって成り立つ。したがって、民主主義を全体主義と対立するものととらえることそれ自体が噴飯物の政治思想といわなければならない。かかる軽薄な政治観を広めたのみならず、今も(価値観外交などと称して)世界に普及させようとしている点において、アメリカの主導するいわばデモクラシー・グローバリズムは犯罪的なのである。そうした犯罪をイラク、アフガニスタン、シリア、ウクライナというふうに続行させているのがアメリカなのだから、「ポツダム体制とアメリカ追随からの離脱」こそが今の日本国家の(急務とまではいわぬとしても)長期方針とならなければならないのではないか。
そう考えると、「朝日」のみならずほとんどすべての戦後メディアが、親米であったりアメリカ追従であったりしてきたのである以上、「朝日の落日」を喜んでいるわけにはいかない。いわば「戦後(ポツダム)体制の日没」へ向けて努力してきたメディアだけに、もしあるとしての話だが、「朝日」を嘲笑する資格が与えられるのである。そんなメディアはなきに等しかったからには、この「朝日騒動」は「目糞鼻糞を笑う」の所業といわれて致し方あるまい。
ヘイト・スピーチによって反韓反中をたくましくしている手合いの「朝日」批判だけをここで問題にしているのではない。中韓両国の日本非難はあきらかに「戦前日本悪玉論」に立脚している。そんな子供騙しの歴史認識に先鞭をつけたのは誰か。アメリカである。そのことを見過ごしにして、それどころか日米同盟などという虚構防衛論にすがったまま、反韓反中を口汚く触れて回るのは、それら両国の薄汚い対日誹謗と大差ないやり方だといっておきたいだけのことである。
(後略)