(前略)
安倍総理が解散を決断したおかげで、増税の声があまり聞こえなくなった。これだけでも解散総選挙の意味がある。
繰り返すが、解散しなければ消費税の再増税は予定通り実施されていた。解散総選挙は再増税の是非の判断を国民に委ねている。どっちがフェアか。言うまでもなく後者だろう。もちろん、解散総選挙によって再増税の先送りが決まったわけではない。増税すべきだと考える人は、正々堂々と有権者に訴えればいい。
沖縄知県事選の時は、住民の声を聞けといいながら、今度の国民の声を聞く総選挙に大義がないとは、あまりに無節操だ。民意を問う絶好のチャンスにもかかわらず、「選挙には750億のカネがかかる」などと、つまらないイチャモンをつけているが、これまでの総選挙は平均すると2年9カ月ごとにおこなわれている。
解散総選挙に大義がないと主張する人は、「国民の信を問わずに増税できるとチャンスだったのに」という考えなのだろう。それこそ国民に対する背信行為である。増税派の太鼓持ちをする一部マスコミは、国民からそっぽを向かれるだろう。
「代表なくして課税なし」と言われるように、税は民主主義の基本である。その基本中の基本を国民不在で決めていいはずがない。
(中略)
今回の再増税延期解散で印象的なのは、最強官庁の財務省が“負けた”という事実である。
民主党政権時代に財務省は、政権運営の稚拙さにつけ込んで、大震災での復興増税、消費増税という時限爆弾を設置することに成功した。
復興増税は、百年に一度の危機に対応したものである以上、本来であれば百年国債を発行して負担を平準化するのが経済政策のセオリーなのに、それを無視して増税を強行した。
消費増税は、民主党が公約にしていなかったもので、「代表なくして課税なし」の民主主義の基本から逸脱したものだ。
復興増税はまんまと実現、消費増税の時限爆弾も、1発目はうまくいった。ところが2発目の直前で、すんでのところで止められた。2発目が破裂していたら、日本経済は沈没しかねない状況だった。
それにしても財務省の増税ブロパガンダは酷かった。マスコミ、学者やエコノミストを多数動員し、当初は「消費増税しても景気は悪くならない」と主張していた。これは信じられない話だ。
1989年の消費税創設時(3%)には物品税廃止、97年の消費増税時(5%)には先行所得税減税と、これまでは増税の悪影響をなくそうという努力は少なくともあった。それでも97年のように景気後退のきっかけになるのが増税だ。
ところが財務省は、復興増税で味をしめ、安倍政権が一次政権の時ほど強面ではないのをいいことに慢心したのだろう。消費増税しても景気後退はないとウソを言って強行突破を図ろうとした。
消費増税の悪影響が顕在化すると、天候のせいなどと学者やエコノミストなどは言い張り、それをマスコミが報道した。まるで財務省のポチ軍団の揃い踏みだ。
その後、「消費税は社会保障とヒモ付き」と言い出し、「増税しないと予算を削る」という恫喝に出た。
財務省が最強官庁だというのは、予算の歳出権と税の徴税権を持っているからだ。後者は財務省の最強手なので、まずは前者を使ったわけだ。
並みの人なら、予算を絡められると増税賛成に転じる。ヒモ付きのヒモがゴムヒモであることを知らないからだ。
(後略)