相場変動のリスクを回避すべく、最新の金融工学に基づき、極めて高度な計算式を駆使して編み出された、「損失」とは凡そ無縁の画期的な金融派生商品は、カタカナでは「ポジティヴ」な「ディリヴァティヴ」。でも漢字だと「ネガティヴ」な「先物取引」。
自分の気の持ちようで同じ画像が少女にも老婆にも見えてくる“だまし絵”やロールシャッハ・テストと同じ事例です。
「ロッキード裁判丸紅ルート」被告の元首相に懲役5年の論告求刑がなされた1983年1月26日、「御用提灯」を手にして目白台の田中角栄邸に向かった「市民団体」の示威運動も“ロールシャッハ”でした。「反権力」を標榜する一方で、「権力」の惹句たる「御用」を「誤用」して恥じぬ、その無自覚な自家撞着に於いて。
未熟な“考える葦”たる我々は、仮令、至らずとも心して目指すべきなのです。矜恃と諦観を併せ持った弁証法的思考を。それは傲慢=アロガント、不寛容=イントレラント、欲深い=グリーディとは対極の慎み深い=ディーセントな心智=メンタリティです。
「左巻き市民」を唾棄して集った筈の「在特会」の面々は、「国民の会」ならぬ「在日特権を許さない市民の会」を正式名称に掲げた時点で“負け”ています。「北斗の拳」の至言「お前はもう死んでいる」を援用するまでもなく。
他方、その彼らを声高に糾弾する「しばき隊」や「男組」の後継組織「対レイシスト行動集団」も、その深意は「御用提灯」に通ずる「権力志向」。「しばく」なる関西一円での俗語が、鞭や棒を用いて殴る・蹴る・叩く行為と知った上で、ハムラビ法典も真っ青な「レイシストをしばき隊」なる呼称を当初、名乗ったのですから。
高市早苗、山谷えり子の両大臣も、その“ロールシャッハ”振りは人後に落ちません。選択的夫婦別姓制度に反対する言説を繰り広げながら、前者は山本、後者は小川の結婚後の“新姓”を「公人」として一度たりとも用いぬ“潔癖性(にまいじた)”を貫徹しています。
誤解無き様に付言すれば、僕自身は優柔不断にも「夫婦別姓」にどっちつかずな立場。が、苟も反対を高言する向きは、頭隠して尻隠さずな矛盾を恬として恥じぬ営為は“ノブレス・オブリージュ”の風上にも風下にも置けないと自覚すべき。早い話が「通名」で「公人」を演じ続けているのです。公職就任前から芸名が本名と化していた故山田勇=横山ノック氏の事例とは凡そ異なります。
(後略)