記事(一部抜粋):2014年7月号掲載

連 載

【流言流行への一撃】西部邁

プーチン外交から学ぶべきもの

 私的な交友圏においてロシア大統領ウラジーミル・プーチンのことを悪くいう者は誰もいない、それが私の場合である。それどころか、日本の言論・世論を広く眺め渡してみても、一種のプーチン人気とでも呼ぶべき風潮が、さほど強いものではないとはいえ、ここ十年ばかり持続している。それは間違いないところだ。アメリカ流のグローバリズム(世界画一主義)が休みなく吹き荒れるこの列島において、ロシア・ナショナリズムを広言してはばからぬプーチン大統領が隠然たる人気者であるというのは、どういうことであろうか。それは、たぶん、現下のグローバリズムが底の浅い流行現象にすぎないということを物語っている。現在の日本国民における気風の底層に、ナツィオ(生誕の地)あるいはパトリ(父祖の地)を大事にするのでなければ日本国家もやがてメルトダウンする、という反グローバリズムの気分がわだかまっているということである。
 ウクライナにはロシア天然ガスの欧州向けパイプラインが何本も走っている。クリミア半島にしても、黒海という巨大な船舶交通路にたいしてロシア海軍が睨みをきかせている場所である。さらにウクライナは、ロシアの歴史にとって、いわば民族発祥の地に当たる。そこを勢力圏のうちに収めるのは、ロシアにとって必然のゲオポリティクス(地政学)であるように思われる。
 いや、正確には、それはロシアの祖国防衛活動の一環だというべきであろう。というのもアメリカ(残存しているネオコン勢力)は、NATO(北大西洋条約機構)の拡大という形で、東欧およびバルト海三国をおのれの軍事的な勢力圏のなかに取り込み、そうすることによって「冷戦終結」の成果を我が物にせんとしてきたからである。だが冷戦構造の解体は、アメリカの勝利というよりもむしろ、ソ連の自己崩壊のおかげなのであった。ゴルバチョフ大統領からエリツィン大統領の時代にかけて、ロシアは塗炭の苦しみを味わいつつ社会主義の体制から逃れようとしていた。他人の不幸を利用して自分が漁夫の利を得ようとするのは世の習いとはいえ、度が過ぎると、猫窮鼠に噛まれるの顛末となるのである。
 秘密警察(という国家の重大事)にかかわっていたプーチン大統領は、エネルギー産業の国有化を基軸にして、ロシア国家の政治経済の再建に着手した。その結果をどうみるか。ロシア資本の海外逃避が今も続いているところをみると、ロシアの未来が明るいとはとてもいえない。しかしそれにもかかわらず、ロシア・ナショナリズムを標榜するプーチン大統領には国民から絶大な支持が寄せられている。そしてアメリカン・パワーが国内外で確実に衰微しているのに助けられつつ、ロシア再建に何とかかんとか成功しているのは疑いない。クリミアのロシア編入に当たって、「世界各地に侵略を仕掛けているアメリカなんかから文句をつけられる筋合いはない」と言い放つプーチン大統領に拍手する者は、世界各地で、けっして少なくはないのである。
 世界経済は、証券資本主義の暴走によって、それこそグローバルなパニックに襲われている。少なくともその不安に怯えているのが二十一世紀初頭の世界の風景である。プーチンのめざすナショナル・ポリティカル・エコノミー(国民政治経済)は、いわば温故知新の知恵として、現代世界に一つの指針を与えているとすらいえる。プーチン体制はけっして社会主義への逆行ではない。ロシア正教との協力やロシア民族史の堀り起こしなどにはっきりみられるように、それは、歴史的存在としてのネーション(国民)がみずからのステートを作り出すのでなければ、「状況(ステート)への統治機構(ステート)」としての政府があまりにも弱くなる。
 そんな状況にある社会は、アメリカや日本の現状がその見本であるように、繁栄の絶頂とは没落の開始のことである、と知らざるをえない。プーチン人気もそこから来ている。「国家の歴史性」を確認しつつ「国家意思の表明」に務めるのが指導者の役割だ、ということをプーチンは世界という各大舞台で演じてみせているのだ。
(後略)

 

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