(前略)
そういう状況のなか、厚労省はホワイトカラー・エグゼンプションの導入に反対の姿勢を見せていたが、制度の対象となる労働者を限定することで容認に転じた。具体例として、「成果で評価できる世界レベルの高度専門職」をあげ、それ以外の労働者については、以下に述べる現行制度の「裁量労働制」で対応するというのだ。
日本には、ホワイトカラー・エグゼンプションに類するものとして裁量労働制というものがある。これは実労働時間にかかわらず、みなし労働時間分の給与を与える制度だ。働けば働くほど残業時間が増えるわけでない。
この制度の対象になっている労働者は、専門業務型といわれる研究開発、情報処理システムの分析・設計、取材・編集、デザイナー、プロデューサー・ディレクターなどの19業種(労働基準法38条の3)と、企画業務型といわれるホワイトカラー労働者(労働基準法38条の4)で、全労働者に占める割合は8%程度だ。
ただし、制度の運用は厚労官僚のさじ加減ひとつで、はっきりしない部分が多く、使い勝手が悪い。その点、ホワイトカラー・エグゼンプションと裁量労働制は似て非なるものだ。
皮肉を込めていえば、裁量労働制とは、労働者の労働時間の「裁量」ではなく、厚労官僚の「裁量」を尊ぶ制度である。ホワイトカラー・エグゼンプションには、厚労官僚が裁量をはさむ余地はまったくない。
結局この論争は、初めは黙っていた厚労省が、ごく一部を対象にホワイトカラー・エグゼンプションを認め、その他については従来の裁量労働制とすることで決着がついた。
ホワイトカラー・エグゼンプションの対象は年収1000万円以上の労働者である。国税庁の2012年の民間給与実態統計調査結果をみると、年収1000万円以上の労働者は3・8%しかいない。しかも、これは会社役員も含む数字なので、労働者の割合はもっと低く、実際には3%程度だろう。いずれにしても裁量労働制の対象となる労働者の8%よりも少ない数字だ。
つまり、民間の労働時間規制の緩和についての議論は、ホワイトカラー・エグゼンプションの対象である3%、裁量労働制の対象である8%の労働者に関するものであって、残り92%の労働者にとってはまったく関係のない話だったというわけだ。
残業代ゼロを前面に出す“煽り報道”が盛んに垂れ流されていた時に、厚労官僚は「ホワイトカラー・エグゼンプションは労働基準法の適用除外という意味で、残業代ゼロではありません」と懇切丁寧に説明すべきだった。ところが、厚労官僚がそれをした形跡はない。
なぜ厚労官僚は「残業代ゼロではない」とはっきり言わなかったのか。
官僚は自己の権限を確保したがる習性があり、自分たちが所管する法律に適用除外がつくようなことを本能的に避けようとする。マスコミのミスリードで「残業代ゼロ」という誤解が広がれば、国民からの反発が強くなることが予想され、そうなると適用除外が見送られるかもしれないと考えて、残業代ゼロというネーミングが一人歩きするのを放置したのだろう。
そして、最後のタイミングで厚労省の庭先である「裁量労働制」を持ち出し、少しだけ官邸の顔を立てて、アリバイ的にごく一部に限ってホワイトカラー・エグゼンプションを導入することに賛成した。
労働時間規制緩和の議論の勝者は、産業競争力会議の民間議員でも労働者でもなく、裁量権を確保した厚労官僚だった。
(後略)