記事(一部抜粋):2014年3月号掲載

政 治

「貿易赤字は大変だ!」という俗論

【霞が関コンフィデンシャル】

 「為替が円安が進んでいるのに、輸出が伸びない。経常収支(または貿易収支)が改善しない。大変だ」と論評する人がいる。たとえば元財務官の渡辺博史・国際協力銀行総裁は2月14日、都内の講演で、日本が昨年12月まで3カ月連続で貿易赤字になったことに触れ、「2月まで赤字が続くようだと経常黒字(国)という(日本の)根源的な強さがひっくり返るかもしれない」と語った。
 しかし、「経常収支が赤字になると大変だ!」というのは間違いである。
 経済学の初歩がわかっていない多くの人は、経常黒字=貿易で儲かる、経常赤字=貿易で損する、と企業が貿易をした際の黒字・赤字と同種のものと考えてしまっている。
 経常収支(または貿易収支)の黒字を「得」なこと、赤字を「損」なことと考えるのは経済学にとって初歩的な誤りで、それを「重商主義の誤謬」という。貿易収支の黒字は、輸出のほうが輸入より多いことを示しているにすぎず、国家、国民にとっては得でも損でもない。
 経常収支が黒字ということは、国内で消費すべきものを輸出に回し、消費機会が失われた、ということでもある。国民(消費者)は消費することがハッピーなのであって、輸出企業が代金をもらうことが国民のハッピーにつながるわけではない。
 カナダのように経常収支が100年以上ほとんどの年において赤字でも、立派に発展してきた国もある。アイルランド、オーストラリア、デンマークも、経常収支は第2次世界大戦以降だいたい赤字だが、この間ずっと損をしてきたわけではない。
 経常収支の赤字は対外債務を増やすが、一定の借金は成長に必要なものであり、無借金経営などは通常あり得ない。経常収支が適度な赤字であれば、国民経済を豊かにできるのだ。
 マスコミの記者には、経常赤字になったら日本経済がダメになると頭から信じ込んでいる人が少なくない。経常赤字になると経済成長がストップして金利が上昇するという人もいる。しかし、それはデータで否定されている。
 最近20年間における「経常収支対GDP比」と「経済成長率」の関係、「経常収支対GDP比」と「金利」の関係を世界各国ごとに調べれば、相関関係がないことがわかるはずだ。
 つまり世界全体をみると、経常収支が赤字の国は多いが、それらの国の成長率が低かったり金利が高かったりということはない。経常赤字国といっても、経済成長や金利は経常黒字国とほとんど変わらない。
 要するに、経常収支が赤字になっても、まともな経済運営をしていれば問題ないということだ。「経常赤字になると日本経済が危ない」と喧伝する人には気をつけたほうがいい。
 以上の基礎知識を得たうえで、最近のデータをみてもらいたい。
 2011年12月〜12年11月の1年間をアベノミクス前、12年12月〜13年11月の1年間をアベノミクス後とし、それぞれの1カ月平均の数字でアベノミクスの前と後を比較すると、以下のようになる。
 貿易輸出額は前5.2兆円、後5.5兆円。
 輸入額は前5・6兆円、後6・3兆円。
 貿易収支は前▲0.4兆円、後▲0.8兆円。
 貿易・サービス収支は前▲0.7兆円、後▲1.0兆円。
 所得収支は前1.2兆円、後1.4兆円。
 経常移転収支は前▲0.1兆円、後▲0.1兆円である。
 経常収支は貿易・サービス収支、所得収支、経常移転収支の和なので、前0.4兆円、後0.3兆円である。
 これらのデータをみる限り、アベノミクスの前後それぞれ1年間においては、輸出があまり伸びない、貿易収支が改善しないのは確かだが、所得収支が改善し、経常収支はそれほど悪化していないことがわかる。
 この現象を「円安になっても輸出はすぐには増加しないから(いわゆるJカーブ効果)」と解説する向きもあるが、最近は為替が輸出にさほど効かなくなっているので、この解説はやや弱い。
 むしろ「ここ20年ほど続いた円高で、輸出企業の海外移転が進んだことで輸出が円安に反応しにくくなり、その一方で海外進出の結果として所得収支の改善がみられる」という解説のほうが説得力がある。
 「経常収支が赤字になると大変だ!」と経済学に素人のマスコミがはやし立てることを、それほど心配しているわけではないのだが、冒頭の渡辺・国際協力銀行総裁のような「わかっている人」が、大変だ! といい出したのは、なにかウラがありそうで、財務省の指示でもあったのかと勘ぐりたくなる。
 「経常収支が赤字になると大変だ!」という俗論は素人受けするので、実は官僚が政策を遂行するうえで「使える材料」になる。
 例えば原発再稼働。「原発を再稼働して少しでも火力発電用の原油の輸入を減らし、経常赤字にならないようにしたい」といえば、マスコミを騙すには十分だ。
(後略)

 

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