(前略)
都知事に相応しいのはどんな人材か。
これまで公選によって選ばれた都知事は、安井誠一郎(1947年4月〜1959年4月)、東龍太郎(1959年4月〜1967年4月)、美濃部亮吉(1967年4月〜1979年4月)、鈴木俊一(1979年4月〜1995年4月)、青島幸男(1995年4月〜1999年4月)、石原慎太郎(1999年4月〜2012年10月)、猪瀬直樹(2012年12月〜2013年12月)の7人である。
このうち、安井氏と鈴木氏は旧内務省官僚、東氏と美濃部氏は学者、青島氏・石原氏・猪瀬氏は作家の出身だ(石原氏は国会議員出身ともいえるが)。
では、全国の知事はどうか。知事になる直前の実質的な職業で分類すると、都知事を除く現在の46道府県知事は、官僚25人、国会議員8人、学者3人、県庁職員・県議等7人、民間人2人。官僚が半数以上を占めている。
8人の国会議員も、その前には中央省庁の官僚だった者が5人おり、それを含めれば官僚出身者は30人。全知事の3分の2に達する。残りの16人にしても大半が地方行政に関わっていた人たちだ。「行政経験」は、知事に求められる重要な要素ということができる。
しかし東京都知事は、1人目と2人目は官僚だったものの、後の5人は学者と作家。とくに直近の18年は作家出身者で、行政経験は必ずしも必須とはいえない。
東京都の職員数は、一般行政部門1万8491人、教育部門6万2625人、警察部門4万6721人、消防部門1万8684人、公営企業等部門2万0297人。合計16万6818人と巨大であり、多くは現業部門である。地方行政は「定型化」したものが多く、現業部門ではとくにその傾向が強い。そのため、いい意味での強力な官僚機構が必要になる。
東京都の場合も、伝統的に、いい意味での官僚機構が確立している。東京都の幹部職員によると、仕事の多くは定型的なので、現場がしっかりしていれば知事が誰であろうと問題はない。しかし、時に全国に先駆けて、あるいは国を出し抜くような新しい仕事があり、そうした場合は知事に情報を発信してもらい、都民に理解をしてもらう必要がある。その点では、国に平気でモノがいえること、情報発信力のあることが、都知事に求められる好ましい要素だという。
つまり、行政のプロというより、トップにふさわしい「顔」が求められている。組織に属して共同作業をするのではなく、個人で勝負する作家や学者は、その意味で都知事に適任といえるかもしれない。
この観点からいうと、今回の候補者のうち、知事に相応しいのは舛添氏と細川氏ということになる。
当初は自民が支援する舛添氏が断然有利といわれていたが、細川氏が出馬を決めたことで、両者の一騎打ちの様相となっている。細川氏は民主などから支持を受け、20年前の非自民も連想させる。
都知事選は、他の知事選と違い、その時々のホットイシューが選挙の争点になる。思い返すと、20年前に政界を揺るがした佐川急便事件(細川氏が佐川急便からの借入問題で首相を退陣した)の後の1995年には、青島幸男氏が湾岸地区で予定されていた都市博中止を訴えて圧勝した。
細川氏がホットイシューとする「脱原発」は、もちろん国政問題である。しかも、東京電力は国有化され国が過半の株式を持っているので、東京都は東電の株主であるとはいえ、抜本的な施策を強制することはできない。
焦点となっている「再稼働」についても、原子力規制委員会の新規制基準のクリア、県知事らの同意が必要で、原発を管内にもたない都知事の出番はない。それでも、「なんでもあり」が選挙だから、争点にはなるだろう。
舛添氏も細川氏も、脱原発という方向性そのものに変わりはない。舛添氏は、テレビタレントだった頃は原発推進論者だったが、新党改革の党首として2012年衆院選の公約で脱原発を主張している。
最近の映画にブルース・ウイルス主演『RED/レッド』(Retired Extremely Dangerous—引退した超危険人物)というのがあったが、細川氏と小泉氏の元首相タッグはまさしくREDそのものだ。
あえて両者の違いをいえば、当面の原発再稼働だろう。つまり即脱原発か漸次脱原発か。
しかし、この差にしても、脱原発への道筋をつける制度改革をおこなえば、例えば10年後には脱原発で同じになる。
もっとも、そうした制度改革も国の仕事であり、都知事にその権限はない。ただ評論家のようにいうだけだ。
原発問題が争点となったことで、安倍政権のエネルギー政策にはすでに影響が出ている。政府は新しい「エネルギー基本計画」を策定、1月中の閣議決定を目指していたが、閣議決定は都知事選の日程を睨みながら調整されることになった。その内容も、細川氏が優勢になれば、脱原発色に近づくだろう。
それにしても、小泉元首相の原発ゼロは、なぜ「いまでしょ!」なのだろう。
(後略)