テレビのニュースでその発言を聞いたとき、私は息が止まってしまうほど驚いた。
11月5日の閣議後のことだ。米紙ニューヨーク・タイムズが、米CIA(中央情報局)の元職員、スノーデン氏の情報をもとに、米国の情報機関が日本を情報収集活動の対象国として通信傍受(盗聴)をしている、と報じた記事についてのコメントを記者団に求められた小野寺5典防衛大臣が、次のように答えたのである。
「あくまで、そういう報道があったということで、アメリカ政府がそのようなことを言っているとは承知していない。同盟国との間も含め、さまざまな友好国との信頼を傷つけるような行為は決して望ましいことではない。報道は信じたくない」
この「信じたくない」という発言は、防衛大臣としては「引責辞任」に相当する失格発言である。と同時に、小野寺大臣が、敗戦前の日本の高級軍人と同じ思考の土壺にはまっていることを示している(日本軍の参謀たちが、起こってほしくないことは起こらない、と根拠もなく思い込んで米軍に対する対策が後手々々になり、挙げ句連敗を重ねたことを思い出してほしい)。
それにしても小野寺大臣の「信じたくない」発言には、女々しさというか、哀れさが漂っている。この言葉にはもっと相応しいシチュエーションがあるはずだ。そう考えて思い当たった。愛し合っていると信じていた男が浮気をしているという噂話を聞いた女が思わず口にする「信・じ・た・く・な・い」。小野寺大臣はまさに、浮気をされた女のような発言をしたのだ。
男なら、信じたくなくとも、薄ら笑いの無言で誤魔化すか、「ぶっ殺してやる」と叫ぶぐらいが普通の反応ではないか。
ましてや防衛大臣である。
「信じたくない」などといわずに、「そうですか。先の大戦でもそうだったが、情報はアメリカの得意分野だから、そういうことはあり得るね。でも心配しないでほしい。われわれもちゃんと手は打ってある。漏れてはいけない情報は絶対に漏洩しないようになっている。仮に漏れているとしても、漏れてもいい情報だけだ。情報には、それを漏らすことによって味方をさぐる、あるいは味方を欺き、敵の戦略をさぐるという面もある。これは情報戦略の初手なのだ」くらいのことは平然と言わなければならない。
実際にはなんの対応も手当てもしておらず、本心で「しまった」と思ったとしてもだ。バカ正直にもほどがある。
記者から急に話を振られ、咄嗟に「信じられない」と口を滑らしたならまだしも、「信じたくない」と口走るような男に、防衛大臣という職責は務まらない。
同じように盗聴の事実を知った際のドイツのメルケ首相はどんな発言と対応をしたか。あるいはフランスは、イタリアは、ブラジルはどうだったか。小野寺大臣はそれらと自身の発言とを比べてみるといい。自責の念を感じたなら、即刻辞任すべきだ。
こんなことを書くと、あまりに古すぎるとお叱りを受けそうだが、米国は開戦前に日本が米国を攻撃することを知っていたといわれている。戦後も、何千人もの日本人を高給で雇い、日本人の膨大な手紙を密かに開封して占領政策の問題点を調査した国なのだ。最近はイラクが大量破壊兵器を保持しているという情報が虚偽であったことが明らかになって国際的に批判を浴びるなど失敗も多いが、それでも冷戦をソ連と戦い続けて勝利した国なのだ。
米国が情報戦に長けた国であることを日本はしっかりと再確認し、防衛省も外務省も米国の対日情報活動に目を配りながら、抜け目のない対応をしていかなければならないはずだ。
ニューヨーク・タイムズによれば、米NSA(国家安全保障局)は、(1)米国の安全保障を脅かす技術革新の可能性、(2)外交政策の考え方、そして(3)米国の経済的な優位の確保——という3つの分野で、日本を盗聴動の対象にしているという。また、日本のNHKの取材に対しても、米政府当局者は、NSAが日本国内に通信傍受の施設を設けて活動していることを認めているという。
「信じたくない」と発言した小野寺大臣は、米国が日本で盗聴活動をしているという、報道機関でさえ掴んでいる事実を知らなかったことを自ら告白したに等しい。恥さらしであると同時に、日本の閣僚レベルでは、米国の盗聴に対する対抗手段を一切講じていないことを米国に知らせてしまったわけだ。
(後略)