(前略)
「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる……」。橋下徹・日本維新の会共同代表の5月13日の発言が物議を醸している。橋下氏は、米軍の司令官と沖縄で面会した際に「もっと風俗を活用してほしい」と言ったことも明らかにし、これには米国防総省報道担当官が「馬鹿げている」と反論したらしい。
橋下氏の慰安婦発言を各マスコミは大きく取り上げ、1カ月以上にわたって執拗に批判を続けている。しかし、橋下氏の発言は非難されるようなものなのか。私は決して間違っていないと思う。責められるべきは橋下氏ではなく、橋下氏が「風俗を活用せよ」と言わざるをえない原因をつくった米軍だろう。米兵は沖縄で日本人女性を相手に凄惨なレイプ事件を繰り返し(被害者には小学生も!)、自軍の女性兵士に対するレイプ事件まで起こしている。橋下氏の「風俗発言」に対しては「ただただ恥じ入る」というのが米軍のとるべき態度であり、「馬鹿げている」とは何事か、と私は言いたい。
本稿では、橋下氏の慰安婦発言を正しく理解するために、「3つの前提」について説明したい。
【戦争、戦場とは】
一つは、戦争または戦場とはどういうものかということである。
橋下氏は「銃弾が雨嵐のように飛び交う」と表現したが、こう言ったほうがより分かりやすいだろう。「銃を乱射し市民を無差別に殺傷する狂人が米国では時々出現するが、戦場とはそういう殺人狂が大集合し実際に大量殺戮を繰り返すところ」。
最悪の犯罪である殺人が励行、推奨、命令される状況下では、平時では犯罪を抑止している箍が外れてしまい、あらゆる犯罪行為が罷り通る。性に対する犯罪もその例外ではありえない。
【若い男性の性衝動】
2つ目の前提は若い男性の性衝動である。ある心理学者の研究によると、若い男性は常時、フラッシュのように1分間に何度も異性や性のことを頭に思い浮かべるという(もちろん個人差はある)。また、これは私の個人的な体験だが、学生時代、友人たちと喫茶店にいたとき、窓側に座った仲間の一人がボーッと外を眺めながら、なにげにこう呟いたことがある。「外を歩いているすべての女とセックスしたい」と。その言を私を含め仲間の誰一人「異常だ」と批判することはなかった。女性がよく口にする「愛情のないセックスなんてあり得ない」などという言は、若い男性にとってはそれこそあり得ない話であって、時、所、相手をかまわない衝動の捌け口としてのセックス、ひたすら射精がしたいだけのセックスもまた大いにあり得る。ゆえに本能剥き出しの戦場では性犯罪が容易に発生するのだ。
激しい性衝動を内包する若い男性を管理し統制下に置かなければならない軍隊にとって、戦場における兵隊の性処理の問題は常に悩みの種である。軍律で取り締まることもあったが、そんなもので兵隊の性衝動の沈静化に成功した例はない。かつてロシア兵はベルリンで7歳ぐらいの児童から70歳以上の老婆まで手当たり次第に犯したというし、米軍もノルマンディー上陸後、ヨーロッパ大陸の多くの女性を犯した。慰安婦、慰安婦と日本を責める韓国の兵隊も、ベトナム戦争ではベトナムの女性を犯してきたのだ。
日本でも、戦国時代の足軽雑兵の戦場での楽しみは略奪と敵国の女性を犯すことだったといわれているから、そういう歴史を背負った日本の軍隊が、兵隊の性の問題に対処するため慰安婦制度を容認したのは、むしろ賢明なことだと評価してもいいのではないか。
ただ、いかなる理由があろうとも、こうした理屈は、夫や恋人が自分以外の女と性行為をすることを本能的に嫌う女性(男性もそうだが)には容認されない。橋下氏の発言は明々白々に嫌われ、それを是認するような意見をメディアが表明しようものなら、購読者の減少や視聴率の低下につながりかねない。だからメディアは橋下氏を非難する意見しか取り上げない。
男の政治家も、女性票を失うことを恐れ、橋下発言に内心理解を示しつつ、意見の開陳を求められると橋下批判をぶってしまう。こんな調子で橋下氏の本音発言を全否定する現在の日本の風潮に、私は危うさを感じる。
民主主義は、都合のいいことも悪いことも全てを含んで本音と真実の上に築かれるものである。政治家や官僚が、本当のことをいえば票を失うからとそれを隠したり、嘘をついたり綺麗事にしてしまうと、「沖縄密約」のような事件が繰り返されると申し添えておきたい。
【論点はただ一つ】
3つ目の前提は、慰安婦問題とはそもそも何かということである。
韓国でも日本でも、古来からごく最近まで、売春は公的に認められた生業であった。この生業は密やかにというより、むしろ猖獗を極めるといっていいくらい大っぴらにおこなわれてきた。若い男性が多数存在する軍隊は、売春ビジネスにとって極めて有望な市場だったことは確かで、女性を慰安婦として軍隊に送り込むビジネスがはびこる背景、事情は韓国にも日本にも十分存在していた。
であれば、慰安婦が売春をしていた事実を批判の対象にするのはおかしな話で、このことから考えても、当時の日本軍には、わざわざ兵隊を派遣して深窓の韓国女性を強制的に集める必要性などなかったと私は推測するのだ。
慰安婦制度が問題となるのはただ一つ、私の推測に反して日本軍が、女性やその家族の意思に反して慰安婦になることを強制し、慰安所の運営管理に直接関与していた場合のみである。
もし日本軍の直接的な関与が実証されれば、その時は日本国として韓国に陳謝し、なにがしかの賠償にも応じなければならない。そう橋下氏は言っているし、私もそう思う。ただし、それを証明する挙証責任は韓国や慰安婦側にある(本人が慰安婦だったという証明もしなければならない)のだが、そういう物的証拠は韓国側から提示されていない。慰安婦だったと自称する老婆の言い分に、日本国としては従うわけにはいかないのだ。
また、慰安婦がなんの代価も受け取らず、肉体を供するだけの性奴隷であったという訴えも、慰安婦のほうで証拠を提示しなければ、信用することはできない。なぜなら、当時の兵隊たちは結構な大金を慰安婦に支払っていたからである。その代価が慰安婦に行き渡らなかったというのであれば、中間搾取した業者なり国家には賠償責任が生じるだろう。ただ、兵隊から金銭を受け取っておいて「私は性奴隷だった」はないだろう、と私は思うのだ。
以上の3点から、私は、橋下氏の発言は非難されるべきものではないと考える。見当違いの批判を繰り返し、間違った情報を垂れ流したマスコミと、それに飛びついた国民には猛省を求めたい。
以下蛇足ではあるが、1965年の日韓基本条約によって「日韓間の両国間および国民間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていること」が合意されている。今になって、なんの新たな証拠もないのに「日韓基本条約には慰安婦問題は含まれていない」と主張しても、また「歴史に正しく向き合え」と女性大統領の朴槿恵が言っても、そんなものは真剣に考える外交提案にはならない。
それより、朴大統領には「歴史に正しく向き合えと、韓国のメディアを指導しろ」と言っておきたい。「原爆投下は神の懲罰」などというすべての日本人を敵にするような記事を書く記者がいるのは、世界広しといえども韓国の『中央日報』以外にないのだから。(慶応義塾大学 大学院講師)