(前略)
こうしてみると、第1の矢に比べ、他の矢は大きく見劣りする。しかも、それに輪をかけて心配なことがある。与謝野馨氏が自民党に復党するという話が流れていることだ。
なぜそれが心配かというと、与謝野氏は国会議員時代、なぜか政権末期になると入閣し、その後、その政権は必ず潰れるという巡り合わせがあるからだ。具体的に見てみよう。
まず小泉政権の末期、与謝野氏は経済財政担当大臣になった(05年10月1日〜06年9月26日)。
次は第1次安倍政権の最後で、官房長官になった(07年8月27日〜同年9月26日)。このときは官房長官の本命だった菅義偉氏になぜか急に事件が起こり、急遽、与謝野氏に差し替えになった。
その次が福田改造内閣で、経済財政担当大臣に就任(08年8月2日〜同年9月24日)。安倍、福田両政権は与謝野氏の入閣後1カ月で崩壊している。
その次の麻生政権では経済財政担当大臣に就任(08年9月24日〜09年7月2日)。中川昭一財務大臣が辞任した後は財務大臣、そして金融担当大臣も兼務している(09年2月17日〜同年9月16日)。
そして最後は民主党の菅政権だ。与謝野氏は2010年4月に自民党を離党後、「たちあがれ日本」を結成。しかし11年1月、そのたちあがれ日本を離党して、菅政権に経済財政担当大臣として入閣した(11年1月14日〜同年9月2日)。
このように与謝野氏は、自民と民主の両方で、政権最後の閣僚を何度も務めている。そのため、自民党関係者によると、同党内で与謝野氏は「墓堀人」と呼ばれていたという。
その与謝野氏、巷では「政策通」ということになっているが、実際には財務官僚の言いなりである。単に、財務官僚の説明を正確に理解でき、話もできるので「政策通」といわれているにすぎない。
現に与謝野氏の経済運営手法は、財務省の主張そのもので、「タカ派の財政至上主義」ともいえるものだ。財政収支の均衡を最優先し、増税に頼る。デフレ指向で、引き締め気味の日銀の金融政策を常に擁護してきた。小泉政権最後の量的緩和解除には与謝野氏が大きく関与していたが、氏がいなければ日本はもっと早くデフレから脱却できていたかもしれない。
金融政策を第1の矢とするアベノミスクによって、景気回復への期待が高まり、統計指標も期待を裏切らない数字を示している。目下のところ死角といえるのは、この夏に決断するという消費税増税だろう。
円安と株高が予想以上に輸出と消費の実物経済を引き上げているのに、消費税増税が実施されると、せっかくのアベノミクス期待がしぼむ可能性がある。いくら日銀が金融緩和をしても、増税で足を引っ張れば、景気マインドは悪化しかねない。
「消費税増税分を財政支出にまわせば大丈夫」という意見もあるが、それなら増税せずに民間に使ってもらうほうがはるかにましだ。
与謝野氏は国会に議席がないので、党の役職につくことはないだろうが、「政策通」で通っているだけに、政権に影響を行使する立場に遇されることは十分考えられる。
(後略)