記事(一部抜粋):2013年4月号掲載

政 治

改宗か、面従腹背か、決断を迫られる日銀

【霞が関コンフィデンシャル】

(前略)
 周知のように、2008年9月にリーマンショックが起きた後、海外の中央銀行は猛烈な量的緩和を実施して被害を最小限度に食い止めた。ところが日銀は何もせず、その結果、円は他国の通貨に比べて相対的に過小となり、過剰な円高を招いた。
 どこの国でも同じだが、通貨安はGDPを押し上げる。だからといって、各国はやみくもに金融緩和に走るわけではない。インフレ目標があれば、それから乖離しないように自制が働くので、際限のない通貨安戦争にはならないのだ。
 日本の場合、円が10円安くなると、名目GDPは8兆円程度増える。リーマンショック以降、円はピーク時30円近く上昇したので、最大で24兆円程度の名目GDPが失われた可能性がある。
 ところが、白川氏は間違いを認めず、失敗を海外の経済環境や日本の人口減少など外部環境のせいにしてきた。一方で、日銀の金融政策を世界のフロントランナーなどと自画自賛している。
 白川氏は退任会見で立つ鳥後を濁した。「市場を思い通りに動かすという意味であれば、危うさを感じる」「過去の日本や近年の欧米をみると、マネタリーベース(中央銀行の資金供給量)と物価のリンクは断ち切られている」という発言は、黒田・岩田コンビに対する批判にほかならない。
 と同時に、なぜ白川日銀がデフレから脱却できなかったのかも、よくわかった。もちろん、政策評価は後世の史家に任せればいいが、この白川氏の言葉は、その際の格好の検証材料になるだろう。
 白川氏の「市場を思い通りに動かす……」発言は、黒田氏と岩田氏が国会などで「予想に働きかける」と言ったことに対してのものだ。しかし、政策とはそもそも予想に働きかけるものだろう。白川発言は、政策をおこわないと言っているのに等しい。
 実際、白川時代に限らず、日銀でこの20年間、「日銀はインフレ率を管理できない」という、前述の「日銀理論」が横行し、結局何もしないというスタンスがとられてきた。この日銀理論を最後まで信仰していたのが白川氏だ。
 白川氏は会見でも述べたように「マネタリーベースと物価のリンクは断ち切られている」と認識している。白川氏にはそう見えたのかもしれないが、「マネタリーベースと予想物価のリンク」は、過去の日本や近年の欧米で実際におきている「現象」で、それが見えないのは、妙な信仰心のせいだ。
 日銀の新執行部は、従来とはがらりと異なり、金融政策の大幅な転換に踏み切ることが予想される。これに対し、日銀のプロパー職員はすんなり従うのか、抵抗を見せるのか。日銀に染みついた日銀理論と訣別するのかどうかが問われている。
 日銀理論そのものは、他国の中央銀行にはない、日銀独特のものだ。それを20年ほど前に指摘したのが、副総裁になった岩田規久男氏だ。
 とはいえ、日銀理論はそう簡単になくならないという意見もある。白川総裁が退任した日の前日、3月18日に、日銀は大阪支店長の雨宮正佳理事を大阪から呼び戻し、金融政策を企画立案する企画局担当にした。同氏は日銀理論の理論的支柱で、まさしく日銀のエース。本当のポスト白川は、黒田・岩田ラインではないという意味で、この雨宮氏「後白川法皇」とも呼ばれているらしい。(後略)

 

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