安倍内閣が打ち出した「3本の矢」政策は目新しいものではない。最初の2本は自民党時代にも多発した「金融緩和と財政出動を切れ目なく……」というもので、90年代にいくらやってもまったく効果がなかったことを反省して、少しは新しい芸を織り込んでもらいたいものだ。
3本目の矢である「成長産業の育成」は世界中が模索してうまくいってない超難物である。保守的な役所や衰退産業を保護することに熱心だった自民党にできるのか大いに疑問である。新しい産業は政策や補助金では興せない。既成産業を保護しない(滅びるに任せる)政策を実行しながら、規制を撤廃して新しい産業の芽が育つのを待つしかない。レーガン米大統領は産業のグローバル化にとって重要な通信、金融、運輸の3業種を徹底して開放した。その結果、旧態依然とした産業は軒並みつぶれた。つまり規制を緩和すると、新しい産業が生まれる前に古い産業が先につぶれるので失業が増加する。その後、マイクロソフトやアップルのようにどこかのガレージで小さな企業が生まれてくるが、その間に10年から15年の年月がかかるのである。
英国でもサッチャー改革は失業の山をつくり、彼女は石持て追われるがごとくに退陣した。いまだにサッチャー女史のことを悪く言う人が英国にはたくさんいる。1年ごとに首相が替わる日本に、15年後の繁栄を願ってこの「深い谷」を渡る勇気を持つ政治家はいるのか? 市場の自由化について話し合うことさえ潰そうという反TPP勢力が跋扈する日本で、いや、その右代表を喜んでやっている多くの自民党の議員たちに、15年後の日本に新しい産業を生み出すための大胆な市場開放、規制撤廃、倒産の嵐などに立ち向かう勇気と意思がそもそもあるのか。3本の矢と口で言うのはたやすいが、安倍政権がたやすいことだけをやっていくのであれば新しい産業などが育つわけがない、というそもそもの理解がどのくらいあるのか。それを国民は問わなくてはいけない。
フランスでも、サルコジを破って仏大統領になったオランドの選挙キャンペーンは、緊縮財政ではなく、「成長戦略で雇用を創出しよう」だった。しかし就任して間もなく、それがいかに難しいかが分かり、緊縮財政だけでなく75%もの富裕税を含む歳入増加策に舵を切っている。つまり彼は、具体策もないのに、犠牲を伴う歳出削減ではなく新しい産業政策で雇用をつくろう、と言って国民をペテンにかけて大統領になったのだ。
イタリアではマリオ・モンティ首相が(おそらく唯一の現実的な政策と思われる)大胆な歳出削減に踏み切って人気を落とし、無責任なベルルスコーニの再登場さえ噂される総選挙に踏み切った。国民も政治家も甘い言葉しか呑めない「デカダンス」が老成した民主主義国のなれの果て、と言ってもいいだろう。(後略)