記事(一部抜粋):2012年10月掲載

連 載

【政治の読み方】武田 文彦

前原政調会長は馬鹿なのか「政治経験」の意味と価値

 民主党の前原誠司政調会長が、「大阪維新の会」に合流する動きを見せている国会議員を「(今の政党に所属したままだと)選挙に通らないので、大阪維新の会の勢いを借りて当選しようする。そんな志の低い人たちが国会に残ってどうなるのか」と非難した。維新の会が国政政党になることについても、「橋下さん(徹・大阪市長)の人気に乗じて、政治経験のない人たちがいっぱい議席をとったら、この国の政治はどうなるのか」と批判した。
(中略)
 前原氏は「政治経験のなさ」を批判したが、今の民主党の議員の多くは、政治経験のないまま当選した人たちである。
 また、維新の会の勢いを借りることを非難しているが、民主党の新人議員たちはみんな、3年前の民主党ブームというか、勢いに乗じて当選した人たちである。
 勢いに乗って当選するのは悪いことなのか。そうではないだろう。
 前原氏の発言のどこかに「わが身を顧みれば」といった表現があれば自省の弁になるが、そうでなければ完全なる自己否定である。
 有り体に言って、多くの議員にとって最大の政治課題は、国家への政治的貢献ではなく、自分が次の選挙で当選することである。彼らはそれに自身のエネルギーの大半を費やしている。だから選挙が近づくと、どの政党から出馬すべきかの選択を迫られる。
 「日の出の勢いだったかつての民主党だから当選できた」と正しく自己認識できる議員であれば、なおさら迷いが出て当然だ。しかも民主党の人気が衰えたのは、自分のせいではなく幹部の不出来のせいなのだ。
 「志が低い」といえばその通りである。しかし、それは民主党の指導者の1人としては絶対に口にしてはいけない言葉であるということに、前原氏は気づいていない。そういう志の低い人間を、自身や政党に引きつけようと努めるのが、指導的な立場にある政治家の重要な仕事なのだ。
 政治経験がなく、ブームに乗じて当選した人たちによってつくり上げられた民主党政権は、(前原氏が今になって人ごとのように批判しているとおり)様々な失敗をしでかしてきた。自分たちが失敗した事実には触れず、他党の失敗の可能性を批判するのは余計なお世話というものだ。
(中略)
 経験のなさは、必ずしもマイナスとは限らない。新しい感性で、既成の政治がなしえない大胆な改革ができるという面もある。国民がかつて民主党を支持したのも、そうした期待を抱いたからではないのか。480から240に半減する政策を打ち出し、参議院の廃止や首相公選制を掲げている。善し悪しは別にして、こうした「改革」は、長年政治でメシを食ってきた、政治屋という仕事しかできない、すなわち政治経験の豊富な国会議員には期待できない。
 前原氏が「経験のなさ」を非難するのは、「自分は国会議員に初当選する前に、県会議員を務めた経験がある。自分たちのような政治家が多ければ心配ない」と言いたいからだろう。しかし、「政治経験」というものを冷静にみれば、そんなものは政治家の能力のごく一部で、ことさら口に出すようなものではない。
 多くの経験を積んでいるはずの前原氏にしてからが、外国籍の女性から長年にわたって政治資金を受けとり、偽メールに踊らされるといった失態を演じている。前原氏の政治経験は結局、なんの役にも立たなかったのだ。
 前原氏の発言は、「問題発言のように見えない問題発言」である。それが堂々と公言され、メディアで当たり前のように報道されている状況を私は憂うる。(後略)

 

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