民主党政権は20年後のエネルギー比率を国民に選択させようとしている。しかし、エネルギーの長期展望といった難問を素人に丸投げするのは愚の骨頂だ。
設問は原子力発電の比率を0、15%、20〜25%としている点がミソで、再生可能エネルギーは30%を前提としている。つまり選ばせるのは原子力発電比率だけで、火力比率を原子力の穴埋めに使っている。問題は出題者も国民も発電に関する知識が乏しく、議論のための共通の土壌が全くないことだ。
大きな問題は2つ。1つは、発電装置ごとに特性が大きく異なることが議論する人に理解されていないこと。例えば原子力や石炭は一定の出力を出し続ける定格運転は得意だが、負荷に応じて出力を調整するのが苦手。だからいままではこれをベースロードとして、使用量の少なくなる夜間は使用料金を下げて使ってもらい、その余力で揚水発電所は夜間に水を汲み上げ、昼間のピーク時に水力発電する、というパターンだったが、「原子力がゼロ」という案ではこれができない。
つまり、夜間は太陽光が全く使えないので、その間は火力に頼らざるを得ない。そうなると電気自動車の普及は難しい。これまでは夜間に充電しておけばガソリン代と同程度になったが、火力を使用した場合、CO2削減にも寄与しないし、3倍のコストがかかる。
同じ理由で将来有望とされている水素・燃料電池も登場の場がなくなる。YMOの坂本龍一氏が原発反対集会で「たかが電気のために命を落としていいのか!」と演説したそうだが、人類はエネルギーを巡る争いで多くの命を落としてきた。その坂本氏が日産の電気自動車リーフのコマーシャルに出ているが、原子力がなければ電気自動車は成立しない、という矛盾に気がつかないのだろうか?
ここにエネルギー問題を巡る素人の恐ろしさがある。
もう1つは再生可能エネルギーに関するものだ。再生可能エネルギーの比率を30%として考えると、現在水力発電が全体の9%なので、太陽光と風力の分担は20%という想定になる。現状は2%程度だから2030年までに10倍にするということだ。
日本の太陽光の稼働率は平均14%、風力が19%しかない。全てはお天道様と風次第ということで、安定供給は難しいだろう。仮に技術革新が起こり20%の平均稼働率になったとしよう。その場合設備としては100%、すなわち日本全体の必要電気量に匹敵する出力を用意する必要がある。仮にこれができたとして、フル稼働したら、他の発電設備を止めなくてはならない。なぜなら今回の買い取り制度で再生可能エネルギーは発電した分だけ電力会社に買う義務が生じるからだ。
上述したように、他の設備には簡単に発電量を調整できるものはない。少なくとも水力とガスタービン以外はロードフォロワー(負荷に応じて発電量を調整する)として使えるものがない。夜になると太陽光が使えないので昼間は短時間だけ火力を止める、という芸当をしなくてはならない。
繰り返すが原子力と石炭、そして大型火力発電所は技術的にそのようなことができない。一方、風もなく太陽も翳った、という日は20%が0%となり、残る装置で100%分担しなくてはならない。すなわち水力を除く再生可能エネルギーが何%であっても、その他の装置で100%分は用意しておかないとブラックアウト(大規模停電)が起こるのである。
エネルギーバランスの議論は複雑な技術状況を理解したうえで、なされなければならない。国民に「どれがいいですか?」と安易に聞いて決を採るという案件ではないのだ。そのような考察が必要な政策議論を国民に丸投げする政府の無責任さ、ヘタをするとそこから「国民のコンセンサスとして」原子力の追放が決められていく、という様子は、貝殻や陶片に追放すべき人物の名前を書かせてその数で決めていたギリシャ末期の政治不在を思い起こさせる。